scene 2
ジダンとクリスティナは、他のスタッフ達と同様にまだ残って作業していた。そこに、一時間も前に帰って行ったはずのデミトリが飛び込んできたので唖然とした。 目つきが変わっていた。その上、言いたいことが喉元まで逆流し、今か今かとタイミングを計っている嘔吐直前の口元だ。 「話がある」 「廊下に出ましょうか」 クリスティナがさっと立った。青年の顔をぼんやり眺めていたジダンも、それに続いた。 三人は廊下に出た。クリスティナが「で?」という目つきをすると、それに蹴られてデミトリは吐いた。 「あんた、俺を謀ったな…?!」 剣呑な言い方に、さすがに彼女の眉間が曇る。右の腰に手を当て、胸を反らすようにして、聞き返した。 「なんのこと?」 「とぼけるな! 俺はこのおっさんがテレビ局をクビになったなんて一言も聞いてなかったぞ」 二人の顔に理解と、一抹の苦味とが同時に走った。デミトリの吐瀉は続く。 「よくも騙したな。どうしてくれるんだ?! あいつらにどう説明したらいいんだ。言えねえよ! まんまと騙されて知らずに変態の舞台に――――」 「デミトリ!!」 女教師のような声だった。クリスティナに一喝され、覚えず声が止まる。同時に場は静まり返ったが、空気は苦しさを流しきれぬまま、泥のように重かった。 厳しい顔つきのクリスティナと、疑念でズタズタになっているデミトリが対峙する。外周のジダンははっきり言って、おまけだった。 「――――落ち着きなさい。どこで聞いてきたのか知らないけど、言わなかったのは、別に隠していたわけじゃないわ。全くの出鱈目だからよ。 ジダンは犯罪者じゃない。その噂は完全な中傷で、にもかかわらず彼は馬の合わなかった上司からクビにされたの。弁解も許されず、一方的に。 あなたは騙されてないわ。ジャン・バチストも、ミラも、騙されてなどいないわ。あなたと私たちは正常に契約したはずよ。詐欺もズルもないところでちゃんと。 おかしなことなど起きてない。心無い人間にジダンが中傷されてるだけで、公演の質とは無関係よ」 「…そいつが本当に、犯罪者じゃないなんて証拠、どこにあるんだ。火のないところに煙は立たないぜ。 嘘か本当かなんて口だけじゃ分からない。俺が騙されてないなんて、あんたの言葉だけで分かるものか…!」 「……デミトリ」 もう、その頃にはデミトリの言葉は意味を為していなかった。彼は叩かれ叩き返されて完全に動揺していた。 それを見てとったクリスティナは、密かに肩の力を抜いた。それからその理屈は細かく聞かずに、姉のような声で、単刀直入にこう聞いたのである。 「私たちに、どうしてほしいの?」 一人立ったデミトリは、しばらく肩で息をつき、返事をしなかった。唇を噛み、その両眼の端が涙で潤むのを、ジダンは見た。 「――――俺を、騙さないでくれ」 二人の前で、彼は繰り返した。 「いいか。絶対に、絶対に、何があろうと、俺を騙さないでくれ! もしあんたらが」 と、彼はジダンへ視線を向けた。 「嘘をついていたことが分かった時は、すぐ抜ける。契約だろうがなんだろうが、三人全員がただちにこの公演から抜ける。分かったな…。…いいな?!」 「いい? ジダン」 クリスティナが、彼の方を見もしないで言葉を投げる。ジダンもデミトリを見つめたまま、 「――――ああ」 承諾した。 それで、その場はお終いになった。 ようやく、デミトリは落ち着きを取り戻して帰っていった。眼鏡二人は喫煙所に仲良く並んで煙草を吸う。 両人ともびっくりしすぎて今頃点目になっていた。 「あーおどろいた」 「全く」 「どこから聞いてきたのかしら」 「さあまあどこからでも聞こえる可能性はあるけども」 「でもさっきの話、本題は実は違ったわよね」 「だな」 彼は前にたった一人では駄目だ、ジャン・バチストとミラと三人一緒でなければ契約しないと言った。 ジダンは稽古場での彼を見て、彼のようなリーダーががんばっていた劇団のメンバーは幸せだったはずだと思った。 そして今彼が涙ながらに言ったのはこういうことだ。 決して俺を騙さないでくれ。絶対に、何があろうと。 彼が作った最初の集団『α』は、『シリス』と同じ様に 今は、もうない。 |
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第8章 了 |
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