scene 4
やっぱり性格だから、アキは稽古が終わって家に戻ってくる頃には反省していた。 自分は意外と怒りんぼで、こらえ性がない。思春期の子供じゃあるまいに、ちょっと馬鹿にされるとすぐ激昂してしまう。 ひょっとしてデミトリとは性格的に似ているのかもしれない。喧嘩を止めに入って自分が喧嘩してるんじゃ全くなんの意味もないではないか。 ヤコブが知ったら―――――、苦笑いだろうな。パリまで連れてきてもらって、出たいという舞台に出させてもらっているのに、彼に迷惑をかけてはいけない。 自重しなくては駄目だ。 念仏のように唱えながら住居の前まで帰って来ると、見知らぬ女の子が、玄関先の外灯の下に立っていた。 アキは鍵を持っているから玄関口のロックを外して入るわけだが、その一六、七の子もいかにも中へ入りたそうだ。期待のこもった目で、減速したアキの方を見ている。 勿論、部外者ならそう易々と中へ入れるわけにも行かないが、鼻先で扉を閉て切るのもなんだか悪い。犯罪と関係するような子には、見えなかった。 「――――あの、ここに何かご用?」 外灯の下に入ると、ためらいながらも、尋ねてみる。少女は黒い髪の毛に黒い眼、どこかで見たような東っぽい顔立ちだ。 「…ここは、P通り23でしょうか」 「え? ああ、そう。23番地」 「えっと…、ここにヨシップ・ラシッチがいますか」 「―――――」 一瞬、発音が良すぎて聞き取れなかったが、やがて誰のことか分かった。 「ああ、ヨシプのお友達?」 瞬間ほっと女の子が笑って、アキはあ、かわいい、と思った。 「あたしヨシプのいとこなの。ヨシプのことが心配で来てみたんだけど、チャイム押しても出なくって…」 「ああ。稽古で誰もいないのよ」 「稽古?」 「お仕事だってこと。しかも間が悪いなあ、ヨシプ今日は、ジダンと外で食べて帰るとか言ってたけど…。 約束はしてないんだよね? 勝手に来ちゃったんだよね?」 「うん。ていうか、パパとママにも言ってない…」 「…わあ」 これは雲行きがあやしい。身に覚えのある後先考えなさだ。 アキは携帯にかけてみた。とは言ってもヨシプは持っていないから、ジダンのものだ。が、間の悪い時はそういうもので、留守番電話が対応した。 お腹が空いていたが我慢して整理する。 この女の子は家族にも無断で出てきた。ヨシプはいつ帰るか分からない。ジダンの携帯は通じない。そして今はもう、夜の七時を回っている。 「えー。とりあえず、お家にかけなさい」 携帯を渡して、女の子に命令した。 案の定、家族はおお怒りだった。当たり前だ。何しろ見た目は一六、七だったが、実際はどうも一四、五らしいのだ。しかも家はRERのD線上だと言う。 夜の郊外線は治安がよろしくない。一人では帰せない状況だった。 電話を代わって家族と話すと、父親が謝りながら、迎えに上がります、とのこと。 「じゃあ、それまでうちでお預かりしてますから。私、ヨシプと一緒に仕事をしている俳優なんですけど、偶然同じ建物に住んでます。P通り23番の301号室なので…」 301号というと、アイゼンシュタットさんのご家族ですか? と聞かれ、アキは今更ながら顔が赤くなった。 「…あの、そんなものです。じゃあ、お部屋で待ってますから。いらっしゃってください」 『分かりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。遅くとも四〇分ほどで、車で上がりますから』 そういうわけで、アキは少女を部屋に上げ、食べるものを出した。そうは言ってもろくな料理が出来ないので冷凍のパスタとお菓子なぞだ。こういう時に、少し家事も勉強しようと思う。 すぐに食べ終わって、間がもたないのでテレビなどを見ていた。父親は中々来なかった。道が混んでいるのかもしれない。 二人とも待ちあぐねてラグに座り込み、アキは雑誌をめくっていた。…ヤコブは今頃米国だ。 「…あのね、ヨシプは、元気でやってる?」 「うん。全然元気だよ。…いい加減戻ってきてくれればいいのにね。まだ携帯通じないし、映画でも見てるのかな」 「お姉ちゃんと一緒に働いてるの?」 「うん。ていうか、私以外の人とも一緒に、一五人くらいで毎日お芝居の稽古してるよ」 「うまく、やってる?」 「………」 ぐ。とアキは詰まった。「うまく」というには、彼は絶対的に社交性に乏しいからだ。ただまあ、特段問題も起こさず稽古場で大声も上げず(アキは意外と根に持っていた)、遅刻もせず、過ごしてはいる。 「…まあまあうまくやってるんじゃない? うん、大丈夫だよ。私、彼のキャラ結構好きだな」 「本当? …本当に大丈夫?」 「?」 念を押してくる少女の顔を見た。本気で心配しているらしい。 「うん。なんで?」 「あのさ…、してないんだったらいいんだけど、喧嘩とか、してない?」 「喧嘩?」 あの、無気力で無抵抗で無口な青年が? 冗談に聞こえて、薄笑いで答えてしまった。 「…ううん? してないよ。彼が怒ったりしたところ、見たこともない…」 「そう。…そうなんだ。よかった」 ようやく安堵したらしく少女は引っ込んだが、今度はアキの方が気になってしまった。騒がしいテレビの前で、立ち入るべきかどうかほんの少し悩んだが、好奇心が勝って、尋ねる。 「…前は、喧嘩なんかしてたの?」 「ウン…。でもね、あれは相手の人が悪かったんだって、パパが。 パパとお兄ちゃんと、ヨシプの三人でお酒を飲みに夜出かけてね、そのお店にいた人と喧嘩になっちゃったんだって。あたしもう寝てたんだけど、皆が騒ぐから目が覚めて、居間に行ったら、ヨシプ血だらけだった」 テレビではCCKのフルーツシリアルの宣伝をしていた。 「でもね、それは相手の人の血だったんだって。ヨシプが相手の人を殴って、その人頭を何針も縫ったって言ってた。 …相手が、セルビアの人だったんだって。それで、喧嘩になっちゃってからは、パパもお兄ちゃんも、夜早く帰ってくるの。お家でしか、お酒飲まない」 「セルビア?」 ろくに学校に行っていなかったアキが、遠い国の名を呼ぶ。 「昔、あの辺りで戦争があったでしょ。それでヨシプは、お父さんお母さんいないんだよ」 「―――――…」 その時突然、机の上に置いてあった携帯が震え出し、アキは、仰天のあまり死ぬかと思った。 ジダンだった。 「――――あ。ジダン。今、どこにいるの?」 「すまん、カーヴで食事中だった。 たった今店から出たところだったんだが、ヨシプの叔父さんから連絡が入って。あと、留守録聞いたよ」 風が鳴る音が聞こえるし、声も弾んでいる。せかせか歩きながら喋っているらしい。 「叔父さんもう五分くらいで着くって。俺達は十分くらいはかかるかな。迷惑かけて悪かった」 「ううん…。迷惑って程でもないけど。じゃ、待ってればいいのね?」 「ああ。叔父さんは本当にもう着くと思う」 「あ、うん。了解…」 「すまーん、よろしく。…おら、走れヨシ」 そこでぷつ、と通話が切れる。 なんともいえない気分で、アキは黒い瞳の少女を振り向いた。 結局、十分ほどして待ち人は全員来た。まずヨシプの叔父がバンで着き、その後しばらくして走りに走ったジダンとヨシプが帰って来た。 ヨシプの叔父は口ひげを生やして、着ている物もいかにも実直な電気工といった感じの人で、勿論すごく怒っていた。 「こんな勝手なことをして、人様に迷惑をかけて! 何かあったらどうするつもりだったんだ?!」 こういうのは、どうしてか大丈夫だなあ。傍で聞いていても、心がささくれ立たないなあ、とアキは思う。ジダンは彼らの間に入ってまあまあ、ととりなしていた。 もう夜の九時近かったので、彼らも一通り終えると早々に帰って行った。叔父は最後にヨシプの肩に手を置いて、 「大丈夫か? 元気でやってるか?」 と尋ねていた。その眼差しの奥に、少女と同じ心配が流れているのを、アキは感じざるを得ない。 「大丈夫です。彼はがんばってくれてますよ。またいつでも遊びに来て下さい」 にこやかなジダンの言葉を潮に、車は夜の道路を去っていった。 少女が後部座席の窓を開いて手を振っている。白い街灯の光る道路に立ったヨシプはそれを、いつもと変わらぬ反応の薄い眼で、ぼんやりと見送っていた。 |
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第十章 了 |
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