scene 1





「お前、もう少し工夫とか努力とかしたらどうなんだ。最初の頃と全然変わってないじゃないか!
 毎日毎日よくも飽きずに同じ事が出来るよ、俺なら飽きるね。三日で飽きる。
 実際うんざりだ。俺が何やってもシカトしやがって。他の役者のことを何だと思ってるんだ?」
 ご無理ごもっともだ。
ジダンですらそう思う。
 だが問題はデミトリが毎度全員の前で大声で噛み付くことだ。ヨシプは…、少なくとも見た目にはそれほど応えていないとしても、周りの雰囲気が悪くなる。空気も重くなる。
 大体、デミトリがこうやってヨシプに文句を言うのはこれが初めてではない。特に本番がすぐそこに見えてきたこの頃は、当初(やや誇張を許せば読み合わせの時)からほとんど変容のないヨシプの芝居に苛立ちが抑えられないらしく、事あるごとに批難していた。
 確かに、ヨシプの演技はつまらない。
稽古が始まった時には恐ろしい完成度に思えた演技も、そこから全く前進がないので、徐々にうまくなってきた他の役者の演技に比べ、覇気なく見劣りがし始めたのだ。
 勿論、彼とて変化は受け付ける。ジダンが逐一「ここはこういうふうに変えろ」と言って注文をつければ、その真似は可能だ。しかし、そこから演出意図を汲み上げて全体の演技を改良してみせるというようなことはない。出来ないのだ。
 これでは正解を丸覚えしている生徒のようなものだ。丸はもらえても、彼自身は一ミリも成長していない。同時に、芝居に対して一利も無い。
「彼は、やってるだけね。回そうという意識はないね」
ミミがため息をつきながらジダンに言ったことがある。
 当のジダンも当然それには悩まされていた。ヨシプの無成長は中盤から薄々と知れていたことだが、時間が迫り、他の役者達がぐんぐん伸びてくると、ますます目立つようになってしまった。
 しかし、『舞台を回そうとすること』を教えるのはとても難しいことなのだ。そもそもセンスによるところが大きい上、後天的に学ぶ気なら、少なくとも問題点に自分で気付いていなければ話にならない。
 で、ヨシプは勿論、そんなことには無感覚だ。
言われるがままやっているだけで、大体が自分の仕事を深くしようなどという意欲も持ってはいない。
 彼の役が大きいだけに、問題は深刻だった。彼の成長が芝居の完成度に大きく関わってくる。何を叩けばその無気力が取れるのか分からず、ジダンはずっと悩み続けていた。
 そうやって演出すら手を焼いているというのに、デミトリが真正面から噛み付いて何になるだろう。
 ―――――いや、みんなももう分かっていた。デミトリは噛み付きたいから噛み付いているだけなのだ。言っていることは説教でも、ヨシプを成長させるとか、そんな意図は少なく、結局彼も、鬱憤を晴らしたいだけなのだ。全体のことなど、どうでもいいのだ。
『廊下でやりゃあいいのに…』
 スタッフ達が迷惑そうな表情を浮かべるのを目にして、ジダンも放っておけなくなった。休憩時間を繰り上げて、稽古再開の為に手を打つ。
「まだ時間が早いじゃないか」
 当のデミトリにそう文句を言われた時は、さすがにジダンも切れそうになった。誰のせいだと思ってるんだと骨の中で腸がねじれる。
 他の役者達は校長室に呼ばれた小学生みたいに、恐怖をこらえて立っていた。







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