scene 8





「――――彼はずるい」
 芝居が進む劇場内で、薄闇に身を浸しながら、フェイが小さな声で、隣のヤコブに囁いた。
 ヤコブは友人を見るような穏やかな目を、この背広に身を包んだ男に向ける。
 舞台上では橙がかった一筋の灯りが落ち、デミトリがそれを浴びて長台詞を聞かせていた。
「…こんなものを作ろうとして、このレベルで作れてしまうのは、…いやらしいことですよ」
「なるほど」
 ヤコブは暗闇の中でそっと笑った。
「彼は私を…、暇つぶしと、不毛なる消費と、ごまかしの世界に置いてきぼりにしたんです。
 私は一人では何も出来ないのに、彼は違う。声を出せば人が集まる。物を書けば人が読む。挙句にこんな舞台を作ってのけるなんて――――」
 調子を整えるように、フェイは肺に空気を入れた。光る瞳には、舞台上に現れたJRの姿が映っていた。
「彼には初めから私など必要なかったんだ」
 スタッフと、キャストと、舞台と、――――金さえあれば。
 くしくも、その時舞台の上では接近しそうになったJRと少女の間に、幾度めかの麻袋(死体でも詰まっていそうな不快な重みを持ったものだ)が落下し、彼らも沈黙したところだった。
 ヤコブは、しばらくの間、役者達と一緒に闇に溶けて黙っていたが、やがてゆっくりと腕を胸の前で交差させると、言った。
「――――いや。そうでもないでしょう」
 JRと少女が、怖気づいたように互いに後退し、それぞれ上下へ走りこむ。音楽が変わると同時に、役者が全員現れ、赤い線を引っ張って舞台を横断していく。
「………?」
「彼も、あなたにOKを出してもらわないと困るんじゃないですかねえ」
 今度はフェイが首をねじってヤコブを窺う。見る方も見られた方も性格だから、当たり前の表情を崩さなかったが。
「ああいう男でも、家族とか友人とか…まあ例えば元仲間や、恋人や、…特にあなたなどには、許してもらえなければ、一人前に辛いらしいですよ」
 長い沈黙の後、フェイはようやく視線を前に戻す。
その顔が歪んでいた。なんともいえない、止めようのない苦笑が湧き上がってきたのだ。

「何を言ってやがるんだ」

 嫉妬に駆られ苦情を申し立てるデミトリの声と重ねて、苦笑いのうちに彼は言った。
「都合のいい…」
「同感ですな」
 ヤコブも白けた笑い顔で頷く。と、後ろの客から「シッ」とやられた。







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