L'inutile
別世界の人




 「美の現場」。今日はめくるめくモードの世界の内側をのぞいてみましょう。
 日々、熾烈な競争が繰り広げられるモード界。そこは人々の憧れのステージであると共に、輝かしい才能が現れては消えていく戦場でもあります。
 ロンドン、ニューヨーク、ブリュッセル、ベルリン、トーキオ。国内はもちろん、海外からも押し寄せる敵でごったがえすこの盤上で今、注目を集めている若きパリ出身のクチュリエがいます。
 ポール・ゴーモン。その独特の美意識に貫かれた、豪華なモードの舞台裏に迫ります!







「――元気か?」
 懐かしい声に、ヨシプは無言で頷いた。
久しぶりに叔父の家の近くの、郷土料理の店の椅子に座っていた。昔はよく連れて来てもらった店だ。
 決して広くもきれいでもないが、ここで交わされるクロアチア語の会話には、逆らいがたい魅力がある。
 もっとも今は開店前で、叔父は店の主人に頼んで場所を借りたらしかった。相変わらず適当な格好。叔父は10年前に編んでもらった穴だらけのセーターを、いまだに着ている。
 ヨシプは今日はそれなりな格好だった。ジダンにちゃんとしていけと言われたからだ。だからそれはまったく、ちょっと出世して田舎にかえった若者と父親の図、そのものだった。
「変わりないか?」
「別に……」
 あまり予想しないかたちで、沈黙が流れた。
 挙句に、
「……迷惑、だったか?」
 心配そうな声に、ヨシプは顔を上げた。その目がほんの僅かだけ、驚いていた。





 
 彼はモデルを選ぶ時も、その独自の美意識に従います。契約を交わすモデルはすべて彼自身が書類審査し、面接し、選考しています。
 ここにはショウでよく見る、やたら若くて細い美男子のモデルは一人もいません。昨日までの生活を体に刻み付けた、街角にいそうなリアルな青年達だけが集められています。

ポール「ええ。そういう人間が輝きを背負う時、そこにリアルなドラマが生まれるのです」



レポーター「彼の現場はキツい?」
モデル「キツいですね。でもポールはもっとキツいはずで、それは見てる自分達が一番よく分かりますから」

モデル「彼がモデルを乱暴に扱うという噂がありますけど、正しくありません。仕事熱心なだけだし、いい意味で業界に染まっていないんです。彼は僕ら全員の名前を覚えてちゃんと呼んでくれるんですよ、仕事仲間としてね」



レポーター「君、いいかな? 普段もこんな装飾のついた服を着る?」
モデル「……全然」
レポーター「そのコートは君の私物? 古着っぽいね」
モデル「……あまり飾りつけには、興味が無いんで……」






 他のシーンと合わせても正味三分。それでもやはり親戚である叔父達は、ヨシプがでると聞いたその番組の放映を楽しみにしていた。ビデオもスタンバイしていた。
 ところが家族みんなで番組を見終わった後、「なんとなく不安な気分に」なったらしい。
 驚いている顔のヨシプを見つめながら、電気工の叔父は言った。
「テレビの画面の中に、お前がいて……。なんだか自分たちとは全然別の、特別な人間のようで……。不思議な気分だった。一年前までうちに住んでいたお前が、ガラスの板の向こう側にいる。何分の一かに縮小されて……。
 娘達は喜んでいるよ。だがなんだかおれは、怖くなってなあ。お前がおれ達の手元から放れてしまって、知らない人になってしまったみたいで……」



 あのシーンを見終わった後、ジダンが笑ったものだ。
なんかお前、逆にこだわった人間みたいに撮られちまったなあ。
飾り付けることに「興味が無い」なんて。
ただ無精なだけなのに――。
 お年頃のヨシプの従妹ははしゃいだのだ。
すごいよ。モデルなんて、かっこいい! 別世界の人じゃん!
 きっと次に会ったらもう、前のヨシプみたいじゃなくなってるね!
テレビニモ、デチャッタシ…………!!
 叔父の上の息子達はもっと複雑そうであった。ヨシプ一人が人から注目される仕事をしていることに、奇妙な苛立ちを覚えている様子だった。
 あいつは変わっちまったのか?
息子が戸惑った声を出したのを叔父は聞いた。
 もうおれの弟分じゃないのかな。





「私達はあまり立派じゃないね。これからお前の姿をテレビで見るたびに、こんな思いをするのかもしれないな」
 締め切って静まりかえった店のテーブルで向かい合う叔父とヨシプは、しばし見つめ合っていた。
 やがてヨシプが言う。いつもより多弁に。クロアチア語で。
 ――おじさん。僕は相変わらず、テレビをよく見てるんだ。ヒマさえあれば見てる。
 ……パリで失業率がどれくらいだと聞く。でも僕の身の回りに失業者がいないこともある。
 フランス人の若い女性は自分に自信があって、現在の生活に満足か、概ね満足しているという人が七割に達すると聞く。
 だが街を歩いても、満ち足りた顔をした女の子に滅多に会わない。
 ――半年前からずっと、ある一つのゲームをしてる。
内緒だけど。
 ニュース映像で街頭インタビューをされている通りすがりの人物に、街で偶然会えるかどうか。
 パリはそんな広い街じゃない。会えそうなもんだろ。そのためにその人たちの顔も仕草も『録画』して覚えるようにしてる。
 でも結局、今までに一度も会ったことがないんだ。
ただの一度も。
 それで今はこう考えてる。
たとえ誰かが、それをできると言っていたとしても嘘だ。現実を盗むことは、誰にもできないんだ。
「今あなたの目の前にいるのがヨシップだよ、おじさん――」
 ヨシプは言った。
「誰も盗めない」
 叔父は立ち上がった。それから詫びるように、その体に両腕を回す。






 こうして、ひとつのショウは無事終わりました。しかし明日からはまた、彼の新しい挑戦の日々が始まるのです。なぜなら……
ポール「なぜなら美を求める旅に、終わりなど無いからです。私は明日も、進み続けます」



ちゃーらーらーらー♪
「だーっ! アホらしい! あたしこの男と小中と一緒よ? 地味で根暗で内気で、裏でちょこちょこ気弱な女子をいじめるようなガキだったくせに。なにスカしてんのかしら!」
 ジダンは驚いて、居間で再放送番組を見て息巻くミミの顔を見た。
「本当か?」
「そーよ。あたしもずっと13区だもん。何が無敵の美の追求者だか、笑っちゃうわ。教育のつもりで背中に多量のかたつむり入れたら大泣きして先生に言いつけやがってさー。おおごとになった」
「……」
 ジダンは隣に座るミミの旦那を見た。温厚な眼鏡の彼は茶を飲みながらどうもそうらしいですね、という顔をしていた。ジダンは思わず同情する。かたつむりに。
「きのどくに……」
「ところでヨシプはどうしちゃったわけェ? あたしあのコも来るんだと思ってせっかく料理がんばったのに」
「あー、ごめん。第二のふるさとに里帰り中なんだ」
「え? そうなの?」
「うん。まあここんところ、全然顔見せに帰ってなかったからね。だから今頃、あの従妹の女の子に――」



「なんだあ、ぜんぜん変わってないじゃん!」



「とか言われてる頃合じゃないか」






(了)


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