――演奏は終わった。
 曲が鳴っている間より、終わった後の沈黙の方が長かった気がした。
 やがて、ピアノの上にしなだれかかるようにして、ヴィカが言った。
「あなた、あたしと仲間にならない?」
「……」
 仲間?
「あたし、本質を見る人間になりたいの。みんなはあたしのこと、ひねくれてる、変わってるっていうけど、それで上等なの」
 再びぽーん、と彼女の指が鍵盤を押した。
『ムッシウ』は彼女のことを愛しているかのようにいい音でそれに応えた。
「耳に心地いいだけの、嘘っぱちの世界なんてきらいよ。あたしには、ジャンヌのようには出来ない。あのヒトや、現状に満足しきった同期生達と一緒にいると、息がつまりそうになるの。
 多分、あたしは世界の裏側に生きている人間なんだと思う。だから表の側の人たちとは、なんか話が合わないんだ。でもみんな、それを分かってくれない。
 …あたし、あなたのこと気に入ったよ。ごちゃごちゃ言わないし、はしゃいでいないし、見た目にごまかされて怯えたりしない。それに、あたしの音楽のこと、ちゃんと聴き分けてくれた。あなたもきっと、寂しいってどういうことか、知ってるんでしょ?」
「……」
「あたしと仲間にならない? ホントのこと言うと、あたしずっと独りぼっちで、こうやって夜中にピアノを聞かせたのも、実はあなたが初めてなんだよね」




 この時、ヨシプはもう、罠に落ちていたのかもしれない。彼は既に彼女の領域の中にいた。
 人一人の核心に触れて尚、手を引っ込められる人間はそれほど多くない。
 少女は、不思議な二面性を持っていた。人を寄せ付けず、厳しい言葉で近寄るなと拒絶する人嫌いで偏屈な一面と、唐突に他者を魂のそばまで引き入れ、惜しみなく自分の『本音』を弾いて聞かせる一面だ。
 ヨシプはいつものように受身に振舞っていただけだが、その動揺のなさが彼女の求めに見合ったらしい。
 少女は鍵を開いて、秘密の校舎へ彼を誘った。



 その日、ヨシプが少女の『仲間になろう』という提案を拒絶しなかったのは、断る理由がなかったためだ。
 彼女が友達、同志、仲間を切実に求めていることは本当に思われたし、それに、彼女の鳴らすピアノの音は面白いと思った。
 彼らは携帯の番号とメアドを交換して、地下鉄の駅前で別れた。
 メトロに揺られている間もずっと頭の中で孤独な音楽は鳴り続け、荷物を前に抱えたヨシプは普段にも増して、ぼうっとしていた。



<了>






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