16.Birthday |
「んで、なんで僕が、あなたの娘さんとのディナーにお邪魔しないといけないんです」 と、クワン。 「普通、食事といったら二時間か三時間掛けるだろう」 と、ニカンダ。 「はあまあそうですね。ちゃんとしたやつだと」 と彼が言うと、刑事は 「そんなに娘と話が続かない」 と答える。クワンは呆れて口を開いた。 「間が持たんのだ」 「や、それはいいですが、そういうのは本人の前で言うことじゃないと思いますよ」 小さなステンドグラスの筒に入った蝋燭の光が、クロスに赤い円(まどか)を広げていた。青色の前菜が白い皿にてらてらしている。そこに白いチーズをさっさと振りかけながら、ニカンダの娘ヤナは気にしないのよ、という風に元気な声を出した。 「大丈夫だよ、クワンさん。生まれた時からこういう親父だもんね。慣れてるの。はい、葉っぱ――――」 「あ、どうも」 ヤナは今日、二十一になったということだが、年の割には落ち着いててきぱきしていて、…少しおばちゃんぽいというか、快活で砕けた性格に見えた。クワンのたどたどしい手つきを目にすると、とてもじっとしていられなかったらしく、前菜以後全ての皿を自分が取り仕切る始末だった(主賓なのに)。 筋ばった体のニカンダに比べると非常にスリムなのであまり似てない印象を受けるが、顔を見ると大したもので、鼻の辺りが彼の娘だ。黒い肌の上に大きく襟を開いたシャツの白さが目にまぶしかった。 「大体僕、何も知らないで連れてこられたから贈り物の一つも――――――」 「おうそうだ、プレゼントがあった」 と、ニカンダは箸を投げ出す。鞄をがさがさと探ると中から細長い包みを取り出し、 「ヤナ、おめでとう」 何食わぬ顔で娘に差し出した。 「…忘れないで下さいよ」 「ありがと、父さん。…なんとなく、中身の予想がつくんだけど…」 包みを開くと、中から現れたのはレトロなデザインのボールペンだった。ヤナは箱を振りながら父親に向かって、 「こーれは、何ね? 私に試験に向けて勉強しろって意味ね? よく分かった、どーもありがとうございます」 と馬鹿丁寧なお礼をした。クワンはまたも呆気に取られて隣のニカンダをつつく。 「あんた、年頃の娘には、服とか指輪とかもっと色々いいものがあるでしょうが」 「私の娘は充分美人だ。そんな飾り必要ない」 「本当のところは?」 「あんまりかわいくなると悪い虫がつくだろうが」 「…ははは」 「変でしょ、うちの親父さん。クワンさんも大変だね、こんな人に振り回されて」 「ええお陰様できっちり振り回されてます」 話が続かないと言っていたが本当にそうで、クワンは飛び入りだったのに、テーブルでは常に彼とヤナ、彼とニカンダとが話をして、自然と二人の間を取り持つような形になってしまった。 彼は心中で親子の関係に戸惑いながらも出来る限り相手をしたが、食事が済んで午後10時を回ると、ニカンダが突然席を立つなどと言い出した。 「悪いが私は庁に戻る。レポートの締め切りがあるんでな」 「えっ?!」 クワンは駄目押しの一手に飛び上がった。 「そんなァ、じゃあ僕も帰りますよ」 「馬鹿言うな。娘が誕生日に一人になるだろう」 「あんたの言うことは正しいようでとても変です」 「適当に相手して帰してくれればいい。私のことは気にするな」 そんな聞き分けのないことを言ってさっさとレストランから出て行ってしまう。仕事の時とは違う、彼の常識の無さにクワンはもはや失語だった。 「変デショ? うちの親父」 髪の毛を耳の上に通すと、笑いながらヤナは頬杖をつく。手首に緩く巻きついたブレスが青く斜めに腕を横断した。 「そうだねえ…」 彼女が存外平気な顔をしているのが救いだった。ともかくこれから一時間ほどこの女性と過ごさねばならないらしい。 …仕方ない。 クワンは気分を変えて座りなおし、調子を整えるように残っていた水に(下戸なのである)口をつけた。 「…試験を受けるの?」 「ウン。法務庁第二種文官試験」 「―――――――」 その指し示す意味が分かって、喉元に穏やかな湯が流れ込んだような気がした。 「…お父さんが好きなんだ」 ヤナは微笑んだ。それは社会で人の意地悪に触れた経験のない若者だけが持っている、影の無い、自然にこみ上げてくる素直な微笑だった。 「変な親父さんだけどね、まあそれなりに」 「そうか」 「それに昔は、別に変でも何でも無かったんだよ」 「そうなの?」 「うん。ああいう風になったのは、うちの母親が割と早く、…私が十三の時にテロで死んじゃってからだから」 少し間があった。やがてクワンはそっと尋ねる。 「…何のテロ?」 「自由ガワティ共闘戦線の。地下鉄で爆発があってね、たまたま巻き込まれちゃって…。ま、それはいいんだ」 クワンの黒い瞳に浮かびかけた同情を察し、彼女は手を振ってそれを受け流した。 「もう何年も前の事だから。私は悲しいのにもいないのにも慣れちゃった。 でもね、父さんは多分今でも三人家族でいた時の気持ちでいるんだ。ていうか私もそれはそうなの。つまり私たちは今でも、三人家族なの。 だから二人だけでテーブルを囲んでいると、お互い間に一人がいないことがすごく寂しいんだよね」 ヤナの言葉に触れているうち、あたりの風景が遠い照明のように霞んで、丸いテーブルが船のようになり、緩やかな流れの中を泳いでいるような気持ちになった。 「カウンセラーに相談とか、した?」 少しでも音を立てるとその微妙な気持ちよさが消えてなくなりそうで、手を動かさないように気をつけながら、彼は言った。 「ううん、いいんだ。解決しなくていいの」 「………」 彼女が笑うと、脳裏にニカンダのいかつい両肩が浮かんだ。 「寂しいの当たり前だよ。母さんが死んだんだから、穴があいていて当然だよ。だからいいの」 「………」 「それに、父さんが寂しがるとこうやって時々、思いも寄らない知り合いが出来るしね。まだ解決しなくていーよ」 多分、奥へ入りすぎた事を自覚したのだろう。若い彼女は照れ隠しにウェイターを呼んで、小さな船の幻想を紙切れを破くように大まかに破った。お茶のお代わりを注文すると、同じ話題ながらがらりと調子を変えて、クワンの方へ少しふざけたなりで顔を寄せる。 「ところで、その父さん調査局でよからぬことしてないよね?」 彼らはその後一時間半ほど色々な話をして、店を出た。クワンは彼女をタクシーに乗せると別の一台を捕まえ、法務庁へ行くようにと運転手に注文した。 『…今のところ問題があるとは聞いてない。報道は毎度大騒ぎだが、核心に迫る行動を見せるものはないし…』 「そうか。安心したよ」 『エア・シティで、またニンブスのような遠隔地が現場だと統制が楽だ。安心して励んでくれ』 「ありがとう。おやすみ」 『またな』 ニカンダはローカル・チャットのセッションを切ると、いつもと同じ平板な調子で顔も上げずに言った。 「戻ったのか」 「ええ」 クワンは肯いて、沈みきった無人の室内に足を踏み入れた。 「今日分の確認がまだ全部取れてなかったもんですから」 「明日やると言ってなかったか」 「もう明日ですよ」 二人は別個に壁の電子時計を見、同時に言った。 「二分前」 午前零時は短針と長針と秒針とが重なり合う時刻である。クワンはその二分が自分の側を過ぎるのを感じながら、端末を立ち上げ、首もとのネクタイを緩めた。 「いい娘さんじゃないですか」 キーを叩きながら言う。 「…そうだな」 「ひねくれてないし、初対面なのに本当のことを話してくれているって感じがしました」 「君もトードーに」 「え?」 「真心から話せばきっと通じんことも無いぞ」 「………」 初日の一件があったにも関わらず、ニカンダは相変わらず彼をトードー・カナンの主任から外していない。 …それにしても「真心」とはなんだろう。そんな言葉小説か、信用できない宗教家の口からしか聞いたことがない―――――。 クワンは彼の方を見ないようにしながら、理解できなかったふりをして話を元に戻した。 「…それにしても、話が弾まないのは仕方ないとしても、悪い虫と一緒に残しちゃ元も子もありませんがな」 「君は悪い虫じゃない」 ニカンダも飽く迄画面から目を離さないまま言った。 「………」 「悪い人間だ」 クワンの口の中でくぐもった笑いが弾ける。 「何だかなあ…」 「………」 ちらと見ると老刑事の口元にも笑みが寄っていた。 オフィスはほとんどの電気が消え沈みきっている。何かの待機中のランプが控えめに点滅する中で、彼らはしばらくの間、無言のままそれぞれの仕事に向かった。 クワンは今日分のトードー・カナンの供述を追う。それは彼がヌクテ・ロイスダールの接触を撥ねつけたという部分だった。しかし目が習慣的に字面を追っているだけの話で、頭の中ではここしばらくの出来事――――トードーの拒絶、ゲルタの完璧な微笑、ニカンダが自分を名前で呼んだこと、ヤナの手首にかかるブレスレット。そんなもの達が夢にも似て、とりとめもなく花火のように縺れ合って光り、そしてまた闇の中に消えていった。 |
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