第37場.エコロジスト |
法務庁の応接室。安っぽい応接セットに突き刺さるかのような背筋正しさでエブレン・シャオユェが座っている。彼女の傍らには端末。 物音一つしない。彼女は落ち着き払って座っている。まるでそこが彼女の故郷か巣でもあるかのようだ。 と、彼女の右手にあるドアから足音が聞こえ、ややあって扉が開く。端末を抱えたニカンダの大きな身体。さらに続いて、左のまぶたから生え際にかけて大きな白い止血シールを貼り付けたクワンが姿を見せる。 シャオユェは立ち上がり、ニカンダと握手を交わす。 ニカンダ お待たせしました。先の爆破事件のせいで、色々取り込んでおりましてね。 シャオユェ お気になさらず。ずっとお会いしてみたいと思ってました。エブレン・シャオユェです。 ニカンダ どうも。(クワンを顎で指し)コイツとは同期だそうですな。 シャオユェ ええ。(クワンへ)巻き込まれたと聞いてたけれど、軽症で済んだのね。よかったわ。 クワン ああ軽症さ。腰を打って肋骨を二本折って額を切って脳震盪を起しただけだからな。 ニカンダ 四時間も気絶してたのがそんなに恥ずかしいのか? シャオユェ 刑事の娘さんも巻き込まれたとお聞きしましたけれど…。 ニカンダ こいつのアバラが折れたのはそのせいです。吹き飛ばされた弾みに、こいつの胸の上に腕から落ちたもんでね。 シャオユェ (クワンを見て)まあご立派。 クワン ………(冴えない顔)。 ニカンダ ま、とりあえず座りましょう。(一同座る) さて、爆破騒ぎでシティが混乱している間に、問題対策委員会の設置が決まってしまったわけですが…。 シャオユェ ええ。今となっては止むを得ない処置です。当方としてはミカミ長官とバーレ副長官他五名の辞職で何とか流れを殺ぐべく努力したのですが、選挙なのは野党も同じ。さすがに食いつき方が違いますわ。 それに――――――。 ニカンダ リークですな。二回目の。 シャオユェ (淡々とした口調)ええ。あれには参りました。一体どこから漏れたのか知りませんけれど、要点を押さえた流し方で、無垢な立場にいたTTMを完全に土俵に引きずり込みましたから。 おかげで与党内まで動揺が広がってしまって。 ――――――見苦しい事態です。 ニカンダ 遺憾ですな。現在、こちらも情報漏洩元がどこなのか内部調査の最中ですが…。 シャオユェ それも重要ですが、今は別のお話を致します。 …近いうちに、問題対策委員会は生存者の証人喚問を議会に申請するでしょう。そしておそらくそれは、賛成多数で可決されます。 クワン は?! (二人にうるさげに見られて)あ…、失礼…。 ニカンダ 変ですな。確か証人喚問には半数以上の賛成票が必要なはずですが。与党内で分裂が? シャオユェ ええ。執行部に反抗的な若手議員達が、賛成票に転じる可能性が濃厚です。彼らはこのスキャンダルを転機に「長老」達が力を失うこと、有権者の支持を背景に自分達の存在を強めることを望んでいるのです。 ニカンダ …まあ、どうせ選挙に勝っても若手は党内で腐ってるだけですからな…。 シャオユェ ええ。結果が見えているが故にそういう乱暴なことも出来るわけです。私に言わせれば軽率な行動ですけど。 ただ、今の世論は圧倒的に喚問に賛成です。中堅以上の議員もその事実は無視できません。残念ですが、喚問が開かれる公算は日に日に大きくなっているのです。 ニカンダ …なるほど、では本日はそれでいらした? シャオユェ ええ。そろそろ本題に入りますね。こちらを。 鞄から封筒に入った一枚の紙を取り出し、ニカンダに渡す。ニカンダはそれを読む。しばし後。 ニカンダ …調査記録の全提出…。 クワン !(シャオユェを見る) ニカンダ …先生方は、トードー・カナンを身代わりにするおつもりですか? シャオユェ 意外ですか? 私のクライアントの望みは、どうあっても自分たちに累が及ばないようにすることです。 ニカンダ (苦い笑い)残念ですな…。有能とお聞きしていたあなたが正義の側について下さらないのは。 シャオユェ 生憎ですが私の専門は合理です。これ程明確な疑惑がある以上、誰かが責めを受けねば世間は納得しません。 …そして5470が事故の原因でないのなら、他に登場人物はトードー・カナンと白痴の少女しかいないのですわ。 ニカンダ ………(紙をひらひらさせる) シャオユェ その命令書を拒否する事は勿論出来ます。しかしその場合にはあなたは、査問委員会に掛けられるかもしれませんよ。 ニカンダ 別に、逆らうつもりはありません。このような重大な決定を、上官が辞職したがために私風情がせねばならないのが不本意なだけです。赤外線パスを。 二人は端末を開き、その背中を互いに近づけて情報の送受信を行う。トードー・カナンについての今までの調査記録を全て提出しているのである。クワンはその様を悪い夢でも見ているような目つきで見守っている。 シャオユェ ………。 彼女は無言のまま自分の端末に渡されたデータを確認するが、徐々にその顔に微かな狼狽が現われる。ややあって目だけを老獪な刑事調査官に向け、 シャオユェ …まるで随分前からこの事態を予想していたかのような、資料の揃い方ですね。 ニカンダ (冷淡に)そうですかな? シャオユェ ええ。…そうでもなければ非公式の調査チームが、これほど粗のない調査記録を残しているとは信じ難いです。聴取開始以前に精神判別機の記録まで…。正規のものよりも完璧に揃っている…。これではまるで…。 ニカンダ シャオユェさん。お父様にはあなた方のやり方というものを厭というほど教えて頂きました。お褒めに預かり光栄ですよ。 間。 シャオユェ ……なかなか、一筋縄でいかない上司をお持ちのようね、サミュエル。 クワン (額のテープを押さえるようにして)…ああどうもそうらしいね…。 シャオユェ ともあれ、これは頂いて参ります。私としてもとてもとても残念ですけれども、次は議会でお会い致しましょう。あなた方もいずれ召還されることと思いますわ。 ニカンダ 与党の喚問代理人もあなたですか? シャオユェ 私と、クロード・カーターという同じ事務所の弁護士が当たる予定になっています。 ニカンダ あの元気な坊やですかな? ウォルシュの裁判の際、ヴィジョンに出ていた。 シャオユェ ええ。またご挨拶に来させます。それじゃ。(立つ) ニカンダの会釈のような合図を受けて、クワンも彼女と一緒に部屋を出る。二人は並ぶと身体的に納まりがよく、まるで仲間かカップルのようだ。エレベータホールまで共に歩きながら、最初は互いの顔を見ずに、会話。 クワン 君には聖域がないんだな。 シャオユェ どういう意味? クワン 何でも利用するんだな。道路に落ちている砂の一粒でも、他人の不幸でも。何もかもをさ。 シャオユェ 私はエコロジストなのよ。出来るだけ少ないエネルギーで目的を達する。ただそれだけのこと。昔からずっとこうだわ。知ってるはずよ。 エレベータホール。クワンは彼女ためにボタンを押し、その手をポケットに突っ込む。 クワン …トードーは事故で、故郷も親友も洗いざらい喪ったような男なんだぞ。 シャオユェ (苦笑)なんだか随分入れ込んでいるようだけど、そんなにそのトードーって男は信用に足るの? クワン …何? シャオユェ 知らないはずない。生存者が自分だけなら、自分が話したことが無条件で事故の真実だと受け止められるってことを。 彼には打算がないの? 自我がないの? そんなわけないでしょう。同情するのは結構だけど、程ほどにしないと裏切られた時こたえるわよ。 (ランプが点滅し、箱の到着を告げる。シャオユェはふいに仕事を忘れたような切り替えを見せ) 今度食事でもしない? 夜なら空いてるでしょ? クワン (皮肉な笑み)遠慮しとくよ。何かに利用されたらたまったもんじゃない。 シャオユェ 弱虫なのね。さよなら。 開いた扉の向うに彼女は消えていく。クワンは無人になったホールで感情を持て余しているが、やがてポケットに両手を突っ込むと窓際まで歩き、暗い表情で外を見やる。 道路や建物の向うに中央公園が見える。数台の警察車両の向こう側にところどころ黒く焼け焦げた地面が覗いて、それはまるでクワンの傷付いた心のようである。 また少し目線を下げると、閉鎖された南門の格子のところには、過剰なほど多量の花束が捧げられている。 クワン …どうして……。 悔しそうに呟くクワンの横顔。じきに日が暮れて、暗転。 |
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