38.Interval
サミュエル・クワンの話2









 ちょうどあの頃からです――――。
目に見えて雲行きがあやしくなって来ました。
 事前の対応に問題があったとは言え、法務庁で行っていたことは事件の原因調査です。しかし証人喚問で行われたのは詰問した。
 政治的責任を政府与党とTTMに取らせようとする野党側と、何とかしてその回避を狙う与党側の見苦しい政治闘争の中で、生存者トードーはただ一人の妥当な証言者、という立場を余すところなく利用されたのです。
 それでも未だに人々は、法務庁での調査より、あの証人喚問の方が真相究明に役立ったと信じています。私はこの事件の勘所が、多くの人に正しく理解されていないことを残念に思います。マスコミと与党とが喧伝した派手な事件のファザードの裏に、宝石は、未だに手をつけられぬままひっそりと寝転がされているような気がするのです。
 それは、私たちのために用意されたもので、企業や政治体が受け取る類のものではありません。トードーの存在が公表されるや法務庁に彼宛のラブレターを送りつけたり、喚問が開かれた後には「死ね」だの「卑怯者」だのといったメールをうんざりするほど送ってきた、或いは居間で見ず知らずのリポーターが話す流言飛語を疑いもせず鵜呑みにした、そんな人々のために用意された貴重な宝だと思うのですが…。
 当のトードーは淡々としていて、自分が人々から誤解されてもそれほど動じませんでした。彼は文学者なので知っていたのかもしれません。遥か昔から、人間はいつも自分にもっとも必要なものを目の敵にして殺すのであり、同時にそういう人間たちほど歴史から何も学ばないのだということを。
 そういう意味では、彼は世界に対し何らの望みも抱いていないということになります。彼はもともと世界、とか社会、というような集団についての意識が希薄でした。彼の対人関係は常に一対一であり、信頼もまた、個人の上にしか降らなかったのです。
 だからその頃の彼の望みは、ただエテルに会いたい、という質素なものでした。しかしその望みは、問題対策委員会によって規制され、かなえてやることが出来ませんでした。その頃私はようやく彼が本気でエテルを愛していることに気が付いたので、この妨害は私にとってもひどくつらいものになりました。












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