39.LIFE IS MEMORY









 27時間マシンルームにこもり切ってすっかりかじかんだ指をほぐす為に、一旦仮眠室へ向かった。途中、少しうとうとしたので眠たくはない。さすがに疲労しているらしい脳に、カフェインを投与したかったのである。
 五分ほどでカップを空にする。時刻は3時12分だった。部屋の中には誰もいない。本当に無気配だった。彼は初めてそれがいなくなったことに気が付いて、僅かに眉間に影を寄せたが頓着はもはや、発生しなかった。
 のろのろと歩いてまた室に戻る。明かりは落ちていて、今まで彼が座っていたサブコンソールのところに作業用のライトがぽっかり白い環を広げているのみだ。彼はそこへたどり着き、再び椅子に腰を下ろした。
 12時間前には自分でも驚くほど機敏に動いた指はしかし、今では腹の上で組まれているだけで静かなものだった。ぼさぼさになった髪の毛の間から黒い瞳孔だけが、闇にうずくまる沼のようなたたずまいで動く画面を見つめていた。
 やがて、もう何分も過ぎた頃、ようやく彼は腕を突き出し、キーボードの上に両手を載せた。そして何を思ったか、今まで使っていたIDではなく、いつも自分の作業者用のIDで、システムにログオンする。


 LIFE


 コマンドラインに、彼はその四字を叩いた。当然反発を見せるシステムと戯れるように、再び彼は、わけの分からない文字列を入力する。


'LIFE' IS LIVING


'LIFE' IS FEVER


'LIFE' IS MEMORY


そして


 LIFE


 今一度、彼はそうシステムに囁いてみたが、ADAMはとんちんかんな反応を見せるだけだった。
 その瞬間、時間の止まった空気の中で、男の横顔は笑っていた。幸福感も自嘲の香りもない、ただ彼は、口を三日月のような形にしていたのである。
 ADAMにおやすみの挨拶をされてシステムから出、立ち上がった。十ヶ月もこもっていたような気のするこの部屋から、とうとう出ることにしたのである。
 彼は荷物一つ持っていなかった。空っぽの右手を伸ばして電気のスイッチを触る。 次の瞬間、マシンルームは完全な闇に落ち、放された水のように身体に流れ込んでくる黒のめまいの中で遠く、動物の泣き声を聞いた様に思った。










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