40.喚問の開始







「大丈夫か?」
 とニカンダが聞いたのは、クワンの膝が先ほどから落ち着かず、時折びくびくと神経質に震えるからだ。
「いや、大丈夫なんですけどね」
彼は自分自身に苛立つように眉をしかめた。
「この人ごみがちょっと…」
 人ごみ、という言葉に見合うほど込み合った様子で本会議場に人がいるわけではない。議員達がそれぞれ席に着き、全体として大きな大学の講義室のような並びになっているだけだ。
 しかしそれがクワンの目には羊のように無防備な人々の無防備な固まりに見え、それへの不安が心臓をささくれさせて、雑然とした場所にいるように感じられるらしい。
 喚問開始まであと十五分はあるし、始まれば少なくとも三時間は食うだろう。ドクターを呼ぼうかどうか迷ったニカンダの前をすり抜けて、ヘイが煙草から戻ってきた。その手には外で配られていたらしい広告があって、彼は何も知らないような明るい様子でクワンにちょっかいを出し初める。
「見ろよ、コレ。外で配ってた。商魂たくましいな、エブレン法律事務所ってのは」
 彼が示した広告は、テキスト版ローカル・ニュースの体裁を真似したようなもので、今日の証人喚問に参加する弁護士の紹介―――――つまりエブレン・シャオユェとクロード・カーターのことだ―――――がなされ、最後には法律事務所の宣伝が載っていた。スタッフ達が、議員やプレス、野次馬に配っていたそうである。
「このクロードって坊やも優等生だな。ま、ここに本当のことが書いてあると仮定してだが。GRN弁護士試験で去年23位だとよ」
「…シャオは11位だか10位でしょ、確か」
「あー、あれは別格。文武両道のダイヤモンドみたいな女じゃないか。そこらの石じゃ太刀打ち出来ねえよ」
クワンは思わず失笑した。
「仰るとおりです」
「ところで、お前、そのダイヤちゃんと昔付き合ってたってホント?」
「…だッ?!」
小さな肩が飛び上がる。
「誰がそんなこと!」
 ニカンダのみならず、周りにいた職員や議員達が数人振り返った。老刑事は耳の縁まで赤くしたクワンを見て、呆れた教師のような顔をする。
「…うるさいぞお前ら」
「す、すみません…」
「あ、なんだ違うんだ。いや、そういう噂があってねえ。どこから湧いてきたんだろうねえ。でも割と仲良しだったってことか?」
「……あの」
「友達以上恋人以下ってカンジ?」
「勘弁してくださいよ、ヘイさん」
「お互い素直になれなくってカンジ?」
「黙れ中年」
ニカンダとクワンに異口同音にやり込められて、まあこんなもんでしょうとヘイが引き下がった頃、三人の書記が議場に現われ、一種の波のようなものがその場の空気をさっと一撫でした。
 幕が開く前の劇場のようだ。人々は席に着き、まだごそごそしているが、徐々に、消え入るように雑音が遠のき、四百からの人々が一斉にある瞬間を待ち構える。
 左側面のドアが開いて、シャオユェとクロード・カーター、それに女性が一人入ってきた。最後の女性はトードーの人権保護にあたる弁護士、ニルフェ・ウディーノだ。
 彼女は会釈してニカンダの隣に座った。その様子を見ていたら、ふと彼女の後ろにいる背の高いクロード君と視線が合う。理由は分からないが、ハンサムなクロード君が楽しそうににやっと笑うのでクワンは嫌な気持ちになった。
 罠は仕掛ける方だけが面白くて掛かる方は楽しくない。シャオユェの顔はいつもと変わらないが、何か用意しているということだろう。
 中央の扉が開いて議長がやってくる。法廷に慣れたクワンは思わず起立しそうになった。他の議員と同じ様にスーツ姿の議長は、階段を上り、丁度中ほどの議員席と同じくらいの高さにある議長席に着くと、癖のような手つきでマイクの電源を確かめ、口を開いた。それが彼の責務だとでもいうような、平板で無感動な調子だった。
「それでは只今より統一議会法第十一条第二項の規定に基づく証人喚問を開始いたします。
 この喚問においては、同条第十一条第三項a及びd、また世界人権条項第五条の規定により、証人の映像、音声、名前、住所等、個人の識別可能な全ての情報について外部への伝達、及び報道が禁止されます。
 もしも違反があった場合、議員・非議員を問わず直ちに議場から即刻退去を命じられ、その後法的処罰が行われます。該当者は規則に従い、報道機材及びそれに類するものを停止してください」
 プレス席に5470係官が入り、機材を収める音で議場の後頭部が一瞬波立つ。それが再び消え失せた頃、議長は変わらぬ形式ばった口調で続けた。
「では証人を召喚します。係官、証人を入場させてください」
 全議場の注意が中央扉に集中したのが分かった。蜘蛛の糸のように視線が交差し絡まる中に、係官に連れられたトードー・カナンの姿が現われる。一対一で見た時にはそれほど悲壮感を感じさせない彼だが、このような場所に引きずり出されたという実際と、その大人しくて善良そうな外見に当てられて、議場の雰囲気に薄い同情が現われたのを、クワンは背中に感じた。
 トードーは係官に連れられて従順に証人席に着く。その一部始終を満場の議員たちは身じろぎ一つせずに見つめていた。
「証人。あなたは、トードー・カナンに間違いありませんか?」
「はい」
「では最初に宣誓を行います。人権保護担当官ウディーノさん、お願いします」
「はい」
 ウディーノは四十過ぎのベテランだ。馴れた様子で立ち上がり、証人席の脇に立つと、慣例に従ってトードーに尋ねる。
「トードーさん、あなたの宗教は何ですか?」
「特定の宗教に依拠していません」
と、彼も教えられた通りに応える。
「ではあなたの良心と尊厳とに対し、事実をありのままに話し、正直に証言する旨を誓ってください」
「私は私の良心と尊厳にかけて、事実をありのままに話し、虚偽の証言を行わないことを誓います」
「ありがとうございます。議長、以上です」
「ご苦労様でした。では質疑応答に入ります。共和人民党喚問代理人」
「はい」
 立ち上がったのは、クロード・カーターだ。背が高いので木が立ち上がったみたいだった。彼は不自然なくらいゆっくりと質問者席の前へ歩み出ると、手にしていた紙の束を置き、それからマイクの上へかがみ込んで、議員と同じ様におもむろに、そして慇懃に始めた。
「喚問期間は二日しかありませんから、単刀直入に参りましょう。
 調査委員会は現在までの法務庁による調査記録を受け取っています。しかし、肝心の当日の動きについては全く未調査のままですから、そこからお話をうかがわせて頂きましょう」
 この嫌味なカンジは、テキスト報道じゃ伝わらねえだろうな。ヘイがぼそりと言う。確かに画面に台詞がテキストで表示されるだけの報道では、この男の圧力的な話し方は分からないだろうと思いながら、ちらと残っているシャオユェの方へ視線を向ける。彼女はきちんと席に着いたまま、小さな男の子の発表会に臨んだ母親のような表情で彼を見つめていた。
「通信が途絶し事故が起きたと推定される2312年04月24日、あなたが何をしていたか教えてください」
「…はい」
 いかにも栄養に足り、上背もあるカーターに比べると、トードー・カナンはひどく貧弱で、その対照が彼が被虐の側にいるという感じをますます強くした。そういえばヌクテ・ロイスダールも身長は高かったが、体重は驚くほど少なかった。人種的特徴のためだけではないだろう。ニンブスの厚生データを流したら結構な騒ぎになるだろうな、とクワンは鼻をつまむ。
「あの日、私はカテドラルにいま…」
「失礼、どうしてですか?」
「前の日、ヌクテ・ロイスダールと一緒に、カテドラルから呼び出しを受けたからです」
「呼び出し。…一概に呼び出しと言うのは簡単ですが、その呼び出しのレベルは、どれくらいのものでしたか?」
「…レベル4の出頭命令です」
「剣呑ですね。ただ、調査記録を見る限りでは、あなたは度々そういうものをもらってしまっていたようです。
 一見大人しそうに見えるのに、どうしてそんなものを頂戴することになったんですか?」
 これを一時間も聞くのかよ。とヘイが呟いた時、ウディーノが異議を挟んだ。
「事故調査の趣旨から反れているようですが」
カーターは彼女の方にすまなさそうな笑顔を向ける。
「それは申し訳ありません。しかし、この証人がニンブス・シティの中でどういう社会的立場に立っている人間であったかということは、結構重要だと思うのですがいかがでしょう」
「それは証人の誠実性を疑う発言と取れますよ」
「とんでもありません! 私はただ、不思議に思っているだけです。証人はどうしてカテドラルの統治者ルームにいたのでしょう?」
 茶番劇に緩みそうになっていた議場が、横様にすっと切られる冷肉のように堅くなった。ほぼ同時、ニカンダの目の下と、シャオユェの口の端に微かな影が宿る。
「そんなところには、普通関係者でなければ入れませんよ。ですから、証人はカテドラルに何か特別なポストを持っていたとか、そういったことがあるのだろうか、と思って質問させて頂いているのです」
「そうですか、失礼しました」
 ウディーノを片付けて満足そうなクロード・カーターは証人席に視線を戻す。トードーは静かに彼の微笑を受け止めた。
「という訳です、どうしてあなたは出頭命令を受け取ったのですか?」
「遺伝子提出義務を怠ったからです」
「それだけですか? それで出頭命令が?」
「………」
「トードーさん、私が調べたところでは、遺伝子提出義務を果たさなかったからと言ってレベル4を出しているエア・シティの統治体はなさそうなんです。もっと、重大な問題があったのではありませんか?」
「…それも、ありました」
「どんな?」
「…友人のヌクテ・ロイスダールが、基幹システムADAMに不法にアクセスし、その情報を外部に漏らしたことが発覚したからです」
 ええっ…? 議会はざわめいた。知識のない議員たちは、純粋に重大事故の原因を探る証人喚問だと思って出席している。全然色の違う話が始まっていることに、とうとう戸惑いの嘆息が漏れた。
「ヌクテ・ロイスダールというのは、カテドラル資源部のSEで、同じく統治室で遺体で見つかった男ですね?」
「そうです」
「調査記録を見る限り、彼はとても優秀で、そして長らくあなたのご友人だった。ただ、彼は社会的に少し問題のある方だったみたいですね。あなたと同じ様に、遺伝子提出義務を怠り、持ち前の技術を利用して、ちょくちょく法律に触れるようなこともしていたようだ。
 ところで、さっき仰ったような犯罪行為の裏づけとなるようなデータは残念ながらまだ発見されていません。そこでお聞きしますが、彼は一体どんなデータをニンブス・シティに流したのですか?」
「………」
 トードーは長い間、カーターの顔を見たまま、答えなかった。沈黙が、一秒増すごとに重みを加えてクワンの胃にのしかかった。
 何かやばいことを話そうとしている。自分達の知らない、気持ちの悪いことを話そうとしている。
 満場もそう感じていたらしい。無音は一分ほども続いたのに、かき乱す者は誰もなかった。
「…エテル・ファーレの背中に生えた羽根は…」
 前衛詩でも読んでいるようなトードーの台詞は、一部を除いて大勢の人々の脳を素通りした。
「『進化』の証ではなく、単なる遺伝子操作上の事故である可能性が濃厚だというデータです」
「…生存者ファーレさんの背中には、確かに羽根のような、奇妙な身体的特徴が認められていることは知っています。しかし、『進化』とは何のことですか?」
「ゲオルギウスがそう発表したのです。新年祭の時。羽根は『進化』の象徴だと。人間は豊かな情感と素直な愛情を持ち、懼れることなく他者へ向かう『天使』に進化を始めたのだと」



 カーターの顔から一瞬、演技が消えたように思った。演技ではなく、彼は本気でトードーの正気を疑っていたのだ。
「…それが事実であったとして、あなたの友人はどうしてそのデータをカテドラル外に流そうなどと思ったのでしょう」
「…ゲオルギウスの発表があって後、シティの人間たちのほとんどが羽化したからです」
「…はァ?」
 一瞬、相手の鈍さに鋭い苛立ちを示した後、トードーはもう一度はっきりと言った。
「彼らの背中に、羽根がどんどん現われたからです」








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