55.ひとり






「この間あなたに送ったお手紙の全てを否定します。
あなたは私を騙しました。あなたは私を騙すことによって私に精神的苦痛を与えました。
あなたのことを金輪際許しません。
即座に手紙の破棄を命じます。

もし今後、あなたが私の手紙をどこかで公開したり、内容を他人に漏らしたり、住所を辿って私に近づいたりしたら、法的手段に訴えますからそのつもりで。

私は本当に傷付いています。
あなたは人でなしです。
あんなことが起きて尚、私に謝罪の手紙一つ寄越さないのですから。
もう二度とあなたのことを考えたくありません。
もし良心があるのならグラナートから出て行ってください。この世界から消えて無くなってください。
そうしたら私は寛大ですから、あなたのことを許してあげます……」






 選ぶことなく手にとった一通を再び畳んで封筒へ戻す。
ひっそりとした部屋にはクワン以外、誰もいなかった。灯りもついていない。曇り空からの光が薄く、ぼんやりと室内を満たしている。
 空気というのは、周りの状況を読むものだろうか。白い壁や床や窓辺は、数週間の主がもう戻らないことを知っているかのように、悲しげにうなだれていた。
 クワンは少し歩いて、窓際に立つ。もう黄昏に近い時刻だった。今日のように天気の悪い日の夕方は、雲が狂って辺りが黄色になる。焦点の定まらない目で、冷たいガラス戸の中、死人のような自分を見つけた。
 ここからは、どうがんばっても玄関は見えない。
クワンは玄関を見たくなかった。
音も聞きたくなかったし、光りまくるだろうフラッシュも目にしたくなかった。
 何も無いことにしたかった。
トードーがいたことも、彼が話したことも、ニンブスがあったことも、それが潰れたことも、思えば自分には関係の無いことではないか。
 帰っていきたかった。何も知らないで目前のアクシデントに右往左往していた子供のころに。とりあえず目の前でシーラが微笑んでくれれば安堵していたあの頃に。
 部屋に独りでいて、窓の外を見て、雲が黄色いなと思っているのは、安らかだった。遠い世界のことや、昔の人間が撮った映像のことなんか、もう考えなくてもいい。
考えなくてもいい。
食って、着てただ、寝ていれば。





 クワンは暗くなるまでひとりでその部屋にいた。
そしてトードーはひとりで同じ夕刻、法務庁から出て行った。








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