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Un-natural
=2=





 






 息を飲む
 白い顔した美少年
 きちゃったきちゃった
 どうしよう





 「あんたって意外と馬鹿だったのね」
受話器の向こうで、月子馴染みの低い声がそう言った。目には見えないけれど、今彼女がどんなに憮然とした顔をしているのか、彼には手によるように分かる。
「あたしが作れって言ったの俳句よ。あれじゃ出来損ないの短歌でしょ」
「ええやんかあ、心のままに歌おたんやで。確か子規もそんなこと言うたやろ。
 ま、難しいことはおいとこ。俺今、むっちゃハッピーなの。その気持ちが詩に出てればそれでええのや」
「確かに浮かれ調子だけがチンドンヤみたいに無用に伝わってくるわね」
 彼は今、一時的に無敵になっていて、手厳しい月子にどんな皮肉を言われようとも応えなかった。
「も―、今回のはヒットやで月子ちゃん。もろ美少年やで。生きてきてよかったーって感じ。
 前に言うてたやろ、ゼミ決めの面接が今日あってなあ。その子が部屋に入って来よった瞬間にもー俺、動悸したわ。どきどきやわ。
 名前『すずひと』いうのや、涼しい人って書いて。これがもー、名前に恥じないさわやかな顔した、気だての優しい、暖かげなええ性格やねん。 お兄さん、一発で惚れてもうたわ」
「ふーん、そんなにいいんだ。
…向こうもそう思っているといいわね」
 少し間をおいて戻ってきた言葉にはほんの少しだけ揶揄がこもっていたが、本当は真心から出た真面目なものだった。それが彼にもきちんと分かっていたから、まるで彼女が目の前にいるかのようにじんわりと微笑んで、礼を言う。
「そうやな、ありがとう。…月子の調子はどう?」
「まあ順調」
「ってことは結構ええ具合にいってんのやな。自分、いっつも控えめな言い方しよるし」
「そんなことないよ。だからまあ普通の人達みたいに、普通にうまく行ってるってだけよ。別になにがどうとか、言うわけじゃないし…」
 声自体に動揺は無くても、変に言葉数が増えている。商売が出来るほどひねくれている月子はそういう照れ方をする人間だった。
 今もレトロな家具を集めた部屋で、きっと黒電話の縮れケーブルを指でくしゃくしゃにしているに違いない。
「…男の人が常時隣にいるっちゅうことにはもう、大分慣れたんかな」
「うん。…そうだね。堤さん結構さっぱりした人だから、その点はそれなりに…安心」
 そしてその後にぽろりと本音が出る。
月子はかわいらしい。
 にっこりしかけた彼は、
「でもね」
と続いた彼女の言葉につんのめりそうになった。
「この間食事に行ったときはやばかったなあ。カウンタだったんだけど、隣にすごく綺麗な女の人が一人でいて、堤さんほっぽらかして見とれそうになっちゃったよ」
「おいおいおい」
「ものすごくがんばってその人を意識しないようにしたんだけど、その人が帰ってくれるまでの間、実はかなり気もそぞろだった。あれはスチュワーデスかなにかかなー」
「こらこら、そんなことで脱線したらあかんで」
「あはは、冗談冗談。分かってるよ。
行きずりの女より、側にいてくれる男って、あたしが自分で決めたんだからね」
「そうやで、がんばれ」
「うん、がんばる。ありがとう」
 ふと動いた目が机の上の時計に止まる。十二時を半時間も上回っていた。
「あー、俺もう帰れへんな」
「えー? 大丈夫? ごめん、長話して」
「いや、元々泊まるつもりやったからええねん」
「そう? でももう切るね。明日も仕事だから」
「そういやどうよ? 新しい会社は」
「どうってどこも基本的に同じよ。なんていうか、流れていってる」
「……」
「こうやって流れて流れて、一体どこへいくのか誰も知らないけれど流れてるの。私たちって本当に、最後にはどこへ行き着くのかしらね……」
 会社勤めの傍らに俳句などをものしている彼女の、やや感傷的な言葉で彼等の長電話は終わった。
 彼は背骨と椅子を軋らせて、猫のように思うまま伸びをすると、すいと立ち上がった。もう慣れっこになっている動作で、部屋にある洗面道具を掻き集めると、部屋を出る。三階にシャワー室があるのだ。

J'ai dessiné dans l'air
Un beau dessin pour toi
Quand tu n'étais pas là
Mon amour


 鼻歌を歌いながら誰もいない廊下を歩く彼の細い背中の後ろ。扉に貼り付けられたネーム・プレート―――「商学部経済学科第T群 朱江数矢」と書かれた――――は平等な蛍光灯の光に、白く静かに照り映えていた。





 どこに行く 彼女の問いに 「お風呂だよ」






 




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