[15] 過去と未来(下)
楼蘭は、フェリックスとキングの狩にサポーターとして同行していた。 二人ともリスタートしたてなので、とにかく弱い。彼女にとっては腹の足しにもならないようなモンスターを、元国王と元有力クラブのリーダーがふうふう言いながら倒している絵図はシュールだ。 シテで仕入れた飴玉をなめながら、彼らの邪魔になりそうなザコを片付けたりしていたら、ふと変わったアイテムを拾った。 「あれ?」 ハート型のチョコレートだ。ピンク色の凝ったリボンまでついている。 「ああ…、それ…、バレンタイン限定アイテムですね…ぜいぜい…」 やっとのことでモンスターを倒したフェリックスが喘ぎ喘ぎ言う。 「今日からだったか…。あー。キツ…」 キングもその向こうで両膝に手をつき、汗だくになっていた。 「フースケ君に上げたらどうです。…当日までに戻ってこられるといいですけどね」 彼からは昨夜『馬鹿親父が盲腸で入院したんで、しばらく留守がちになるかも』とメールが入っていた。手術は無事終わったらしいから、長くても四五日のことだろうが、ギリギリな感じだ。 「メールに、未来氏のことも書いてあったね…」 「ええ。やっぱり彼の助勢は難しいと…」 「あれは私の欲だった。しつこくしすぎたな。名望の高いエリートだから、かえって夢を見てしまって…」 「僕もですよ。それに南州がシテと本気で事を構える事態になれば、その存在は大変な脅威ですし――って楼蘭君! 何故リボンを解こうとしているんですか」 「えー? 食べようかと思って」 キングが胸を押さえてよろめく。 「なぜだろう。なんかココロが傷ついた」 「楼蘭君…。折角ですから、誰かにあげたらどうですか…。フースケ君は?」 「義理チョコなんかいらないっしょー」 「義理なんだ…」 「じゃ、じゃあシテにでも送ったらどうです? こないだ未来君に、世話になったんでしょう」 「あー。出せば届けてくれるんだっけ」 「未来氏はたくさんもらうだろうな…。正真正銘のエリートに憧れてる人間は数多い」 「そう思うとやはり惜しいですね」 「いや、無理は禁物だよ。ところでその後ロゼッタ・ストーンの解読はどうだ?」 「どうにもこうにも…。万一人に読まれても困らないように、わざと変な書き方してたんじゃないかと思うくらいムチャクチャですよ。 昨日は、でたらめな外国語っぽい記述を見つけたんですけど…、『パルレエペ』って何のことだか分かります?」 「…なに?」 「分かんないでしょ。段原さんにからかわれてるんじゃないかと疑いますよ、全く」 「そう言えばダンバラってヴードゥー教じゃ、蛇の神様の名前らしいな」 「なんという…」 男達がマニアックに話し込んでいる間に、楼蘭の手の中からチョコがすっと消えた。 「あれ? どこかに送ったんですか?」 「うん」 「まだ当日じゃないのに」 「いーじゃん? 届けば」 「大雑把ですねえー。三つ子の魂百まで…」 「どうでもいいけど二人とも、後ろに敵わいてるよー」 「え? …うわわ! む、群れが来たあ!」 「よかったねー」 楼蘭はそれほど悪気はないのだが、がさつなだけにサポーターにしては容赦がない。 赤い飴玉を口に放り込んでいるうち、不意を突かれたキングが血を吹いて死ぬ。 「あっ」 * 翌日、珍しいことに曽房誠が学校を休んだ。高校に入って、初めてのことだ。 朝方担任に本人から連絡があり、風邪だと言ったらしかった。 二月は乾燥するし、結局一番寒い時期だ。しかも千葉からの通学とあっては体調の一つや二つ崩しても無理はないだろうが…。 恒介も変なスケジュールを強いられてあまり体調が良くなかった。それでも放課後になると、通学用の自転車に乗ってあっという間に消える。 その姿を、安倍太朗が廊下の窓から見送った。 「あ、あのさー、未来…」 彼は他クラスの前にやってくると、廊下掃除をしている大森未来に話しかける。 久しぶりだった。例の一件以来、彼は萎縮して昔のように暗く受身になり、自分から話しかけて来るようなことは滅多になかったからだ。 「おう。なんだよ。なんか用か?」 未来はちょっと驚きながらも、モップの柄を止める。 「恒介のお父さん…、入院したんだって…」 「そうだよ。大変だったぜ、緊急手術で」 「おじさんからウチにも連絡来たんだけど…、その時…、恒介と話した?」 「…ああ。話したよ。けどあんまり言うな。誠が気にするからな」 「…誠、今日、休んでるんだよ」 「なに…? マジか。珍しいな…」 「あのさ、それで、僕こそ未来にこんなこと聞いたってことは、内緒にしておいて欲しいんだけど…。その時…【楼蘭】のこと、何か言ってた?」 「…どうかしたのか?」 あの日、特別彼女について話した覚えはない。だが、未来はその前に彼女と変な接触をしていたから、何のことだとは思わなかった。 「い、いや…。昨日の夜…。彼女からチョコレートが届いたんだ…。ほら、バレンタインのイベントアイテムの…」 「ほーっ。へーっ。そりゃあー」 未来は口を思いっきり横に開いて、一世一代の半目で太朗を見た。彼はうりざね顔を赤くして、手を振る。 「だっ、だから! 僕だってその、どうしてだろうと思ってるんだよ…! ひょっとして恒介が、あのコにそうするように、根回しでもしたのかと思って…」 未来は意地悪な目を引っ込めると言った。 「さーな。俺には分からねえよ。でもそういうことなら、彼女に直接聞いたらいいだろ」 「…でも…」 「――いい加減お前も勇気出せ、太朗。 久しぶりに恒介と話して思ったぜ。俺らは、もうちょっと互いに話をしたほうがいいや。 誠には信念があるんだろうが、あいつの神経に障らないようにこっちが従うばかりじゃ、何も解決しないんじゃないかって気がしてきた。 確かに楼蘭は前科者だし、敵対クラブの人間だ。でも話したいなら、話したらいいだろ。何か変わるかもしれないぜ」 太朗はじっと未来を見つめた後、こくんと頷いて去って行った。残った未来は我ながら、言葉がするする出たのが不思議だった。 自覚はなかったが、思った以上に誠に遠慮をして、無理をしていたのだろうか。いい加減に残りの拭き掃除をしながら、ちょっとそう考えた。 * 病室へ行ってみると、荻窪に住んでる伯母ちゃんが見舞いに来ていた。親類中最強との呼び声高い世話焼きのおばちゃんで、病人の枕元でクドクド、クドクド、前世にまでさかのぼった説教をしていた。 親父が救いを求める犬のような顔をして俺を見たが、無視する。 夕方、仕事帰りの伯父ちゃんとその息子娘(俺の従兄弟ね)が合流して、飯でも食いに行くか! ということになった。 「伯父ちゃんが鮨をおごってやろう!」 泣いている親父を後に残して病院を出る。みんなで回転寿司屋に行って、家に戻ってきたのは九時過ぎだった。 ちょっとゲームしたいなとは思ったけど、眠気に勝てなかった。昨日は眠れず、満腹だったし、医者から明後日には退院できるよ、と言われてほっとしたことも大きかったんだろう。 部屋着に着替えた俺はちょっと休むつもりで横になり、そのまま舟が水面を滑っていくように、寝入ってしまった。 * 未来は、通常通りログインした途端、部下から部屋の隅に積まれた木箱を見せられた。 「…なんだそれは」 「隊長宛のチョコの詰まった箱です。引き取ってくださいね」 「……」 「それと、陛下からご伝言を承っております。本日、上がる前に『騎馬の間』へ来るようにと…。十二時過ぎで、構わないそうです」 「…そうか」 誠は学校を休んだはずだが、一日寝てもう回復したのかもしれない。 未来はいつものように、部下数人を引き連れて任務に出かけた。 一方、その未来に発破をかけられたアベじいは、城の書記官室の机で仕事も手につかず、くよくよ思い悩んでいた。 彼は口の悪い連中から「もぐら」などと呼ばれていた。ゲームにINしている間中、二階の書記官室にこもりきりで、仕事の合間に遠い知り合いと地下でチャットをするのだけが楽しみの男、という意味だ。 その知り合いというのもなんとなく垢抜けない連中で、アベじいは彼らと好きなまんがの情報交換をすることで、我が身の不幸を慰めていたのである。 そんな彼も今日は妙にゴソゴソしていた。しまいに同僚達が好奇の目で見守る中、立ち上がって部屋を出て行く。 もぐらが外へ出てったよ。 彼らは驚いて視線を交わす。 広大な城には、一人になれる場所がけっこうあった。アベじいは風通しのいい廊下の一隅に留まると、意を決して、風に向かって呼びかける。 『楼蘭』 キーボードを打つ手が震えた。 『楼蘭…』 『なあに』 耳にこだまする囁きに、心臓がぞくりとうごめいた。 『――ひ、久しぶり…。今、いい?』 『うん。別に大丈夫』 『あ、あの…。チョコレート。ありがとう』 『んー。まあせっかく拾ったから』 『それで、えっと、…あの、どうして…』 『アベちゃん、カノジョいた?』 『え? いや…?』 『また迷惑かけちゃったかと思った』 『――ああ。いや、その点は大丈夫…』 『よかった』 『…あの…。あの時、k…フースケに助けられて、その後もずっと、彼と一緒だったんだって?』 『うん。そうだね。色々お世話になったよ』 『――…ごめん。もう、明らかにこんなこと聞かない方がいいって分かってるんだけど、僕の中のゲス野郎が…。…それって実際どういう感じだったの? 色々、噂を聞いてるんだけど…』 『楼蘭もバカだけど、アベちゃんも相変わらずだね。そんなコトになるわけないじゃん。逃げる途中で、偽装は色々、したけどね』 『…そう、か…』 『うん。でもあたし、フースケのことは大好きだよ』 『……』 『彼みたいな人に、なりたいな』 『そうか…。そう、だよね…』 リアルで恒介が眠りこけていたその頃、執務室に割り当てられた『騎馬の間』では、アルカンが数人を相手に書類を広げ、てきぱきと何かを説明していた。 部屋の奥には国王が座っていたが、薄暗闇の中にいて表情がよく分からない。陰からのぞく肘掛の上の手もその下の足も微動だにせず、まるで安置された神像のようだった。 「陛下。準備は終了いたしました」 アルカンが向き直ると、闇の中に、恐ろしいほどに澄んだ水色の瞳が浮き上がる。 「よし」 その一語は小さいのに、部屋の全員に聞こえた。 十二時すぎ、呼び出しに応じて未来がやって来る。その頃には室内はマクシムとアルカンだけになっていて、未来が連れてきた部下二人も外へ出された。 「重要な政策について話したいんだ」 「おう。…体調は大丈夫なのか?」 未来の問いかけに、マクシムは目を伏せた。 「ああ。大丈夫だ」 「――ご説明申し上げます。 ご存知の通り、現在、南州のみが我が『カテドラル』との同盟を拒み独自路線を採っています。ここに『ブルーブラッド』の残党、【キング】支持派、或いは単純に反中央を標榜する連中が集まり、反政府勢力が結成されつつあります。 その指揮を執っているのはリスタートしたキングであり、南州統治クラブ『真夏』がこれを騎士隊の第一三部隊として保護するにいたりました。 先の戦争時間帯、シテ城に紛れ込んでいたフースケ、フェリックスらの行動により、彼らの狙いは『大革命』であるという可能性が濃厚になっております。 それらのことを勘合した結果、陛下は、今週より南州への本格的な攻撃を開始することを決定なさいました。 今週末、戦争を起こします。狙うは南州スユド城を根城とする、反政府勢力の殲滅であります。その指揮を、あなたに執って頂きます」 「――…」 未来は喉元を締め上げられ、一瞬両足が地を離れたような気がした。 マクシムの望みが世界の統一であることは、勿論知っている。彼は【パトリス】=段原の治世を復活させることが目標だからだ。 あの頃は、紆余曲折はあったものの大体において全州が中央州と同盟関係にあり、国王は尊敬され、実質的に、世界は一つとみなされていた。 最終的にそこに向けて動き出すだろうという予想は当然あった。だがまさか、シテを落として半月で進軍するとは、思ってもみなかった。 ましてそれは今の未来の気分とは、ほど遠い話だ。南州に進軍し戦争するということは、その抱えであるフースケ達と真っ向から殺し合うということを示している。 無論『真夏』も老舗だ。簡単にやられはしないだろうが、国力だけ比べれば四対一。しかも『王の剣』の持ち出しが可能と分かっている今、少々の無理を押したとしても、最終的に競り勝つのはどちらか、目に見えている。 「…何故、これほど性急に…」 「なに、深刻になることはない。腫れ物を取り除こうというだけだ」 病気のせいか、冷めた表情でマクシムは言う。 「体を痛めぬためには、早期に根絶するのが肝要だ。『王の剣』をメスにした外科手術だよ」 「…マクシム…」 連中のことを、病巣だというのか。尋ねる寸前で声が止まる。マクシムが真剣にそう考えているということを今の瞬間、ぞっとするほどはっきりと理解させられたからだ。 それは、中途半端で、欲に負けて罪を犯し、情に流され役立たずになり、土壇場で信頼を裏切るような人間を部下に持ちたいかと言われたら、誰だって否だというだろう。 集団の中にそんなものがいるのなら、教化するか排除すべきだというだろう。 だが、何かが違う。何かがおかしいと思うのに――…言葉に、出来ない…! 未来は動揺した。焦りの風に紙ふぶきが舞うように言葉が四散していき、探れば探るほど何をどう言えばいいのか分からなくなっていった。 そうだ。未来は誠の顔を見ると、正直に話せなくなるのだ。 多分、禁忌の力を感じるのだろう。誠に反対することを、彼の過去が咎めるからなのだろう。アルカンの叱責も耳に残っている。 だが、それでは何も解決しないのではないかと、彼は昼間思ったばかりだ。 勇気を出せ、と太朗には言った。未来は葛藤を押さえつけながら、懸命に、口を開いた。 「待ってくれ」 「――」 王座に座った男と、横に立ったアルカンの両方が呼吸の途中で彼を見た。 「シテを落としてまだ二週目だぞ。 確かに、連中は目ざわりかもしれん。だがその主要メンバーは『王の剣』で殺害された直後で、みんなレベル三〇にも届いていないはずだ…。 戦争にはならない、――虐殺になる。ましてそんな低レベルで再消去されようものなら、彼らの恨みは今度こそ絶対的な、解消出来ないものになるぞ」 「病巣といったのが聞こえなかったか、未来」 「……」 「癌細胞やウィルスの感情を気にする人間がどこにいる? 都度潰すだけだ」 「では、南州は…」 「スユドの城主はその細胞を培養し、王国中に混乱をばら撒こうとしている。世界になそうとしている罪は明らかだ。同盟州の住民らを恐怖から保護するためにも、討伐する。 既に幾たびかの警告も無視している。これ以上は譲歩できない」 平行線だった。どこまで行って叩いても強い論理の壁があった。だが、叩くうちに未来の本能は、問題の外貌を段々把握しつつあった。 ――そうやって何の躊躇もなく、他人を悪いと言い続けられること。自分は正しいと言い続けられることが、…変なのだ。犯罪じゃないだろうが、何かそのまま飲み込めない。 なぜだろう。昔のマクシムは、こんなではなかっ…。 「――お前…、忘れちまったのか…」 水のような悲しみが両足をがっちりと捉えるのを感じながら、未来はうめいた。 高架した線路。変わっていく景色。 「喧嘩をするなら、自分と同格の者を相手にすべきだと…。その言葉が好きだと…」 これはもともと、未来の父親の言い草なのだ。品がなくて金が好きで、柔道バカな父。大嫌いになることだってある。 でも悪いことばかりでもない。千語に一語くらいは、いいことも言うんだ。 「――覚えているさ」 マクシムは静かに言ったが、過去に戻ることは拒否した。青白い指で胸を指差し、未来に示したのだ。 「その理想の果てに、僕は心臓を刺された」 未来は腕で顔面を殴られたような気がした。 「――きれい事はたくさんだ。どれほど誠を尽くしても、連中はお構い無しに汚い真似をしてくる。甘くすればつけ上がる。寛容を示せば侮られる。この世界でもリアルでも、同じことだ。 美しいが夢物語なんだよ、未来。君の理想論は…。僕はもう、夢から醒めた」 沈黙があった。執務机の上の書類の上にも、丸まった地図にも、並んだ印章の上にも、寂しい静けさがあった。 マクシムはそれに馴染んでいた。いつの頃からか彼はたった一人で、その部屋に住んでいたのだ。 未来は目の前が狭くなったような気がした。突然視界が欠落して、世界の半分以上が、隠されてしまったあの日のように。 呆然としている未来の大きな体を、マクシムは両手を肘掛においたまま見つめた。言う。 「――未来。君はどうやら、僕のやり方には、もうついてこられない様子だな」 「……」 「無理をすることはない。もし僕の言うことに納得できず、もはや仕える気がなくなったのなら、去ればいい。人は互いに、素直に生きなければいけないよ」 「…誰が、そんなことを言った…!」 未来は、感情をこらえきれず目をつぶるが、マクシムの答えは意外なものだった。 「君が」 控えているアルカンが口の端を歪める。 「言ったそうじゃないか。『疑問がないわけじゃない』と。…僕のやり方が、『最高で唯一無二だとも、完全無欠だとも』思わないと」 極め付けに愕然とした。 どうして彼がそれを知っているのか、全く理解できなかった。 だってそれを言ったのはゲームの中じゃない。リアルでだ。二つの世界を隔てていた膜が破れて、ごちゃ混ぜになり、未来の不自由な視界を回した。 「――それどころか君は、心情的にはキングの支持者であるらしい…。『キングの方が柔軟で、パトリスに』より近いそうだな?」 マクシムにとっては、その一言が最も大だったはずだ。いつも、パトリスの名は、彼に冷静さを失わせる。 右手が腰に回り、剣を抜いた。空へぽおんと放られる。輝く黒い目をしたアルカンが見事にそれを受け取って、 「――残念です」 と言った。 「しかし、キングを支持し、南州の連中と通じた偽の忠義者を『エリート』としてとどめおくわけには参りますまい…。 既に後任については調整が済んでおります。お覚悟はよろしいか――反逆者、未来!」 マクシム・ソボルの手が卓上のグラスを払った。床で砕けると同時、出入り口の扉が開き、そこにずらりと並んだ騎士の姿が浮かび上がる。 別の隊の連中だ。 未来は自分の目が信じられなかった。首を返してマクシムを見たが、そこにはもはや閉じられた壁しかなかった。 「なぜだ…!」 未来は顔をしかめて絶叫した。 「お前が俺を救ってくれたのに! 同じお前の言葉が今度は俺を殺そうというのか!」 厚いタブーの感触を突き破るように、未来の手が、大斧の柄をつかんだ。 アベじいと楼蘭の会話はなんとなく途切れることなく続いていた。アベじいは、彼女とまともに会話できるだけで幸福だった。 あー。あの時は無理をしすぎていたんだなあ。と、キスだのゴニョゴニョだので頭が一杯だった以前のことを、恥ずかしく思い出す。 『……?』 ふいに、楼蘭の返事が間遠になった。OUTしたいのかと思ったが、それにしては妙な雰囲気が伝わってくる。 『どうしたの?』 『…未来さんが…』 『え? 未来?』 『呼んでる』 『フースケ! フースケ!!』 未来は、初めフースケを呼んだ。だが反応がない。 やがて数分前まで味方だった騎士達の血と、跳ね返るペナルティと、絶望した精神が奇妙な反応を起こし、彼は、楼蘭の名を呼んだ。 『はい。どうしたの?』 『フースケは、どうした?!』 飛んで頬に張り付いた男の耳たぶを払い落とし、未来は言う。 『INしてないみたいよ? 今どこ?』 『シテだ。…追われてる』 『えっ?』 殺しても殺しても次がやってくる。自分を取り囲む壁を、残った戦士の本能だけで切り開きながら、未来は体の芯から絶叫した。 『助けてくれ…!!』 『…ごめん、アベちゃーん。行かなきゃ』 『あ…。どうしたの?』 『うん。ちょっと。移送ゲートってフツーの時にも使えたらいいのにねー』 『え…。遠くへ行くの?』 『そんなとこ。でも近いかもよ』 『え?』 『シテ』 『未来さん。あの場所まで来れる?』 楼蘭が尋ねたのは城外の、例の飴屋の前だ。心臓部である執務室にいた未来には、城門すら限りなく遠い。 だがとにかくここは厭だった。こんなところで、アルカンの手にかかって死ぬのも厭で厭でたまらなかった。 見事な、大きな、とぐろを巻いた、この蛇の城から出たかった。自由になりたかった。昔みたいに。 歯を噛み締める彼の鼓膜を、楼蘭の声が打つ。 『がんばって』 そのしぶとさ、どこまで行ってもつきぬ戦闘のセンス、操作の巧みさに半ば感嘆していた騎士達は、再び勢いを増した未来に、恐怖を覚えた。 一体どれだけ底力があるのか――。 彼は既にレッドネームで、ペナルティ込みで闘っているというのに…! 騎士達のおびえを的確に見抜いて、未来は囲みを突破した。その体から振り落とされた鮮血が、騎士達の鼻先に飛び散る。 「――チッ」 『王の剣』を手にしたアルカンは舌打ちした。 「追え! エリートならば怯むな! 既に深手だ! 確実に討ち取れ!」 「どけ! 邪魔しないでくれ! 俺を外に出してくれ! 出たいだけだ!」 狩り立てられる獣のように、血まみれになりながら先頭を疾駆していく未来の姿を、廊下にいたアンリエットが呆然と見送る。 『――楼蘭。まさか、シテに来るなんて言わないよね。捕まるよ!』 『んー。でも呼んでるし。シールはするよ』 『どうしたの?! 何があったの? 僕に何か出来るなら言ってよ?』 『だってマクシムさんに逆らうことだよ?』 『…!』 『ふふ…。ほら、やっぱり。楼蘭もバカだけど、アベちゃんも相変わらずだね』 楼蘭から連絡を受けたフェリックスは驚いて兵舎に走り、机に飛びつくようにしてキングに相談した。仲間達の多くは狩りに出ていた。 「未来が、追われている…?!」 「楼蘭が向かってる模様です。私もすぐ!」 「止めろ。そのレベルじゃ死ぬだけだ。俺達が行く」 【ロネ】が立つが、別の手が引き止める。 「既に我々は騎士だぞ。下手に動くと両州の衝突に発展する。城主の指示を仰ぐべきだ!」 「第一、本当なの? 何かの間違いじゃないの?」 何が起きているのか分からず、全員が口を噤んだその時、楼蘭から追加で連絡が入る。 『念のため言っとくけど、来なくていいからね?』 『な、なにを言ってるんです?!』 『だって無理でしょ? 明らかに色々』 『じゃあ君も戻りなさい!』 『んー。未来さん、本当はフースケにコールしたかったみたいなの。フースケだったら行ったと思うの』 青ざめるフェリックスの耳が最後の声を聞いた。 『役に立たないけど、あたし、呼ばれたから』 少年時代の黄昏ほどに長い、十分の後、未来は、まるでふるさとに帰る動物のように、約束の場所へとやって来た。 騎士達からの攻撃と、跳ね返るペナルティに、全身の骨肉を切り刻まれながら。 上がる寸前だったので、そもそもアイテムの補充が充分ではなかった。それでも長い長い迷路を走り、単身で城門を突破し、恐懼し割れた人垣の中を、よろめきながら歩いてきた満身創痍の未来を見て、楼蘭はぶるりと震えた。 目がうまく見えなくなってるらしい彼を出迎えて、腕に触る。未来は、二、三度手さぐりで確認をすると、抱きつくように彼女の上に崩れ落ちた。 懸命に支え、背中に手を回すと、青いマントはずたずたになって半ば赤く、指には甲冑が触れた。その強い鋼の板も激しいダメージに損傷し、下からは血が滴り落ちてくる。 イベントリから北州の、大粒のサファイヤを取り出した時、未来の体が、串を通された海老のように痙攣した。 すがる力さえ失った未来の体が、遂に地面に倒れる。その向こうに現れたのは、アルカンだった。 今回は、さしもの大天使も相当てこずったと見える。体にはほうぼう回復した跡があり、装備も血を浴びてガタガタになっていた。 彼の手にはただひとつ無傷に、凶刃がほの白く光っていた。 『王の剣』。 二人の眼差しが互いに互いを見詰めるうちに、その効果によって、未来の巨体がかき消えた。楼蘭の頬に、赤い血潮を残して。 「騒ぐな!」 アルカンが細い顎を反らして、ざわめき始めたシテの住民達に怒鳴る。 「第一騎士隊長【未来】は、元『ブルーブラッド』リーダー【キング】と密かに通じ、王位を転覆せしめんとしていた咎で成敗された! この男こそ、忠臣の仮面の裏で卑劣にも策動していたキング派のスパイ。――反逆者である! 以後、この男のことを『エリート』と呼ぶ者のあらば、正義の定めに従って相応の報いを受けるだろう!」 髪を乱し、血を浴びた美少年の、ものすごい眼光に、人々も、追いついた騎士達も、言葉を失って立ちすくむ。 「…あなたって、女の子みたいだね」 彼は、どことなくぼんやりしている楼蘭の方へ視線を戻すと、何を言ってるのかというふうに顔を歪めて笑った。 「命乞いか…? …するなら、命は助けてやる」 飴屋のおやじが仰天している前で、楼蘭はちょっとだらしない感じのする唇を開いた。そして言う。 「――キング。キング万歳!!」 振り下ろされた『王の剣』が楼蘭の体を縦断した。 -EOF-
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