レヴォリュシオン エリート







[ 16 ] もの言う剣



 菓子屋の陰謀で、学校中がチョコレートの受け渡しに翻弄される日だった。
 普段通り登校した曽房誠が席に着くと同時、教室の奥の席にいた小郡恒介が立った。
 彼は誠の前に来るや、いきなり両手を彼の机の上へ振り下ろす。
――バン!
 ざわめく教室が、一気にシ…ンとなった。誠は僅かに心外そうな表情を浮かべ、膝の上に置いた鞄を触る。
 恒介は震えていた。射殺しかねない眼光で、誠を見ていた。誰に対しても、これほど怒っている彼を、みんな見たことがなかった。
「そんなに…!」
 食いしばられた歯の間から、半分以上息の混じった言葉が漏れる。
「そんなに王位が大事か…!!」
 誠は、冷静な顔の後ろで胃を押された。押されたが、そのさかしい眼は、恒介の表情に漂う自責の念を的確に捉え、すぐに自らの痛みを曖昧にした。
 誠は答えず、分かっているぞという眼を彼に呉れる。八つ当たりをしているんだ。お前は。
 ――カスめ。
 互いに互いの体内のどこに、こんな胸が悪くなるような憎悪が潜んでいたのか分からなかった。恒介は叩きつけるように机を両手で押し出すと、教室を出て行った。
 クラスメイト達は驚いて出口と誠の席を見比べた。彼らが最近あまりつるまなくなっていたのは知られていた。でも…、一体、何があったのだ?
 誠は彼らの無言の問いかけに応えることもなく、黙って机を整えると、鞄から書籍を取り出し始める。
 その日、小郡恒介は一日中、教室に居つかなかった。授業の時も本鈴ギリギリに入って真っ先に出て行く。
 安倍太朗は廊下で誠の姿を見ると、さっと顔を伏せた。肌の色はますます青白く、唇は堅く結ばれて挨拶すら紡がなかった。
 そして大森未来はその日、学校を休んだ。




 授業が終わって武蔵小金井駅に戻ると、いきなり腕をつかまれたのでぎょっとした。ストーカーのようにそこで待ち伏せていたのは、愛だ。
 相変わらず鞄や髪の毛にきらきらする飾りをたくさんつけている。身構える誠に、愛は菓子屋の袋を差し出した。
「はい、これ」
「……」
 高そうな包装だった。デパ地下などで見かける洋菓子屋の製品らしい。
 愛の顔を見る。彼女は深刻な表情は避けていた。CDを貸してあげる時みたいに、わざと軽い感じで出している。
 誠は、彼女を見るとどうしても恒介を連想した。昔から彼らは仲が良かったし、それに、雰囲気が合っているからだ。
 愛の持つ、当たり前に世間を明るく生きていける強さと、恒介の持つ、人の縁を驚くほど無造作につなげていく自由さ。
 望んでも得られない天性の資質。今は高校生という縛りのせいで二つの容れ物に分かれているが、彼らは同種の生物だ。そのことには前から気付いていた。
 誠は、そのチョコレートは愛が一人で買ったものじゃないだろうと直感した。母親と一緒に選んだだろう。そしてことによれば中には、二枚のカードが入っているかもしれない。
 故に、誠はそれを断った。そして、
「僕のことはもう気にしないでくれ。…君達は好きにやってくれたらいいんだ」
 なけなしの本心だった。もう誠は小金井を出たのだ。それは、彼女らは父と三人で念願の新しい家族を作って、気兼ねなく楽しくやればいいという彼の意思表示だった。
 だが背を向けた瞬間、袋が背骨の上に投げつけられた。振り返る。
 電車入線のアナウンスが矢継ぎ早に響く駅舎内で、江尻愛は、怒りに震えて立っていた。
 泣いてはいなかった。もう、そんな段階は通り越したとでもいうように。
 誠は何一つごまかしをしたわけではない。それでも彼女の怒りには狼狽した。
 床に落ちた袋の中で、青い紙で包装された箱がひっくり返っているのが見える。学生や大人たちがびっくりしたような、冷やかすような目で二人の脇を通り過ぎていく。
「…ふざけないで…!」
 彼女は拳を握り、わなわなと震えていた。
「自分だけがつらいなんて思わないでね!」
 叫んで、愛は身を翻した。それは今までの感じとかなり違っていた。もう本当に、二度と来ないかもしれない感じだった。
 随分経ってから誠はぎこちなく身を屈めると、無様な姿をみせている袋を仕方なく取り上げた。電車に乗った。




 武蔵小金井から舞浜まで帰ろうとすれば、一時間以上かけて都心をまるまる横断することになる。誠が風邪っぽいのは本当だった。車内で時折咳をしながら、それぞれ違った灯りが浮かび上がる、中央線の駅を進んでいく。
 ずっとまやかしだと思っていた。
両親が離婚する前から。
 父も母も、互いに相手の気持ちを故意に傷つけて喜んでいるようなところがあったし、家族で仲良しそうに出かけるようなことがあっても、体裁だけだった。
 誠は両親の間で、何とか家族を維持しようと子どもの頃から無理に演技していたが、関係は情けなくほどけていくばかりだった。
 何の為に幸せな子供を装っているんだろう、バカらしい。
 そう考えるようになった頃、両親も離婚した。誠は今でもはっきり思っている。彼の家庭には愛などなかった。ただ家という空き箱に、常識への遠慮と、勝手な期待と、無責任さばかりが投げ入れられていた。
 それでいて彼らは認めようとしないのだ。未だに父も母も、運が悪かっただの、互いの両親が反対していただのと、嘘ばかり言う。
 直視したくない真実は息子が引き受けることになった。彼は、それを飲んだ。
『二人の間には初めから家庭を営むに足る愛情などなかったのだ。自分はその空っぽな家庭の影響をたっぷり受けて出来上がった、一種の役者だ』
 役を振り捨てただけだ。『優等生』という、今まで演じていた衣装を棄てて、閉じ込めていた素の自分を解放してやろうと思った。そうでなければ生きていけないと思った。
 ――誰にも遠慮しないで、自分の考えた通りにやってみるといいよ。
と、あの人は言った。
 ――レヴォリュシオン・エリートは、いっそ滅ぼしたっていい世界だ。
 ――ただし自分の思い通りにやるのなら、相応の犠牲は覚悟しなくちゃだめだよ。
 その言葉は正しかった。自分を偽らず、心の命じるままに、自由に生きていくことは、とても厳しいことなのだ。
 誠は念願の国王となったが、多くのものを失った。自分の過去を丸ごと棄てているのかもしれなかった。
 それでも彼は後悔していなかったし、止まる気もない。まやかしはもう、たくさんだからだ。
 自分の過去を切り離しても、幼馴染を失うことになっても、人から憎悪されても、知りたかった。幾度ものふるいの果てに、どれくらいのものが手元に残るか、試してみたかった。
 まやかしの日々が築いたもの全てを引き換えにしても自分は、本当の――仲間とか、家族とか、本当の自分とか、そういったものに肉薄して、なんと言ったらいいのか…――嘘や分裂のない、一個の、人間になりたい。




 母の家は高層マンションの一室だった。誰もいない。外資系企業に勤める母は毎晩、日付が変わる頃に帰宅した。
 着替えた後、洗面所で喉を洗ったが、痛みは取れなかった。咳払いして、母のPCへ向かう。
 コンビニで買ってきたおにぎりをペットボトルのお茶で流し込みながら、まずネットに接続して公式HPをチェックする。
 その途端、トップに出ていた新しい告知に、彼の眼は釘付けになった。


【お知らせ】
 この度、長い間お休みを頂いておりました当運営チーム・リーダー 段原一彰の退院が決定いたしましたので、ご報告申し上げます。
 退院後も当面は自宅療養となりますが、当人の強い希望もあり、イベントへの参加といった一部業務への復帰を検討致しております。
 また退院決定記念と致しまして、今期の統治レベル評価は段原本人が行います。段原の不在中、レヴォリュシオン・エリートの世界を支えてくださった城主の皆様は、どうぞ楽しみに、評価をお待ち下さい。
 これまでユーザーの皆様からは、暖かい励まし、応援のコメントなどをたくさん頂戴…


 頬から額の方までばあっと血が上った。彼は思わず椅子の上に両膝を上げ、両腕でそれを力いっぱい抱きしめると、こらえられぬように、悲鳴を漏らした。
 城主の統治レベル裁定は、二週ごとの金曜日に発表された。だから、今夜の午前零時にINしていれば、届くはずだ。
 誠は有頂天になった。学校や駅でもらったチョコのことなんか吹っ飛んだ。
 そんなものより、段原に会いたいと思った。遂にキングを倒して国王の座についたんですよと言いたかった。
 よくやったねえと笑ってくれるはずだ。
 昔からあの人は、幼い誠さえ少し不思議に思ったくらい、常に彼の味方だったから。




*




 フースケは騎乗し、単独で南州を走っていた。目指すは中央州との州境であり、風圧で上着の巻きかえるその顔には鋭い殺意が漲っていた。
「フースケ君! 待ってください!」
 間を開けられ、やっとのことで追いすがるフェリックスが、かなり後方から叫ぶ。
「どこへ行こうって言うんです! INしたなり!」
「あいつの部下を二、三十人殺してやらないと気が収まらない!」
「ばっ…! そんなこと出来るわけがないでしょう! 幾ら君が高レベルでもペナルティがあるんですよ! 落命するだけだ!
 無念は分かりますが落ち着いて、戻ってください! 手順を踏んで、大革命を起こしましょう!」
「そんなもの待てねえ! 嫌なら帰れ!」
 こんな聞き分けのないフースケは初めてだ。フェリックスは馬上でああもう、と頭を下げたが、その胸中は分からぬでもない。
 結局、ずるずると中央州まで引きずられて行った。




「フースケは」
「さっき会ったが、荒れている」
「ううむ。何とも申し訳なかったの、キング…。ワシはINしておったのだが、ちょうど離席中だったのじゃ…」
「いや、色々タイミングが悪かったのだよ、シンビ殿。我々も連絡は受けたものの、結局何の行動も取れなかったからな」
 苦々しい表情でいつまでも互いを庇い合う二人に、『真夏』リーダー【てるみ】はうんざりして扇を振った。
「もーやめなさいって。今更しょうがないでしょう。起きちゃったことは…」
 アルハンブラみたいなスユド城の、開放的な執務室だ。明るい廊下には小鳥が飛んでいた。
「大体、コトはシテの城内で起きていたのよ? たとえウチに直接ヘルプが来てたって手の出しようがなかったわ。それは未来にだって分かってたはずよ。
 それでも助けを呼んだのなら、――その『助け』は、あんた達が出せばよかったといってるその『助け』とは、ちょっとモノが違ったってことでしょう。
 そういう意味じゃ、楼蘭はちゃんと彼を『助け』に行ったわよ。意外なくらい、毅然とね」
「彼女は、フースケに恩を返したがっていたからな…」
 再び釣り込まれそうになるキングの意識を、閉じた扇で膝をぽんぽん叩いて戻す。
 まったく国王までやってたくせに、センチメンタルな性根が抜けない男だ。そういう「なんとかしてやらなきゃ感」が、かえって味方の援助を呼んでいたのだが。
「もう二十四時間が経とうとしてるのよ。荒れるのはフースケ一人に任せて、そろそろ、城主としてのいやらしい話を始めましょう。
 失意の果てに死んだであろう未来には悪いけれど、これで少しは、状況が面白くなってきたわけよ」
「――明らかな脅威でもあり、最も倒しにくい敵でもあったエリート、未来は消えた…」
 キングも腕組みをしつつ呼応する。その視線が斜め下のシンビへも受け継がれ、
「市民や、残りのエリート達に与えたショックも相当なものじゃろうて」
 一巡して、てるみへ戻る。
「それに大事なのは、この件があることを明らかにしたということよ。
 ――マクシム・ソボルが、狂い始めている」
「……」
 二人の前で、てるみは編み上げた髪のあまりを肩の後ろへ払った。
「これはあのボウヤが恐らく、初めて犯した大きな失策よ。今この時に、人望も厚く、軍の要でもあったエリート、未来を切った。
 今までも身内に対して決して柔軟じゃあなかったけれど、この件に限っては、背後に強い私情の存在を感じるわ。
 憎たらしいくらい完璧だったあのボウヤが、や、っ、と、私情に動かされてヘタを打った…。つけこむべきでしょうね。
 それに、私は、とても楽しみなの。
 ――パトリス、つまり段原だけど…。彼がこの事態に、どんな評価をつけるのかって」




*




 誠はゲームにINし、浮わついた心を絶対に人に悟られないように、執務室に変えた『都市の間』にこもって零時を待った。
 アルカンは、人事改編に伴う現場の混乱を収拾するために出かけていた。
 誇り高く攻撃的で、力強い城主として、彼を評価する連中から届いたチョコが箱に入って壁際に積まれていたが、気にもならない。
 『都市の間』はこれまた変則的な造形になっていて、天井が高く巨大な天窓が開いている。その横壁に張り付いた巨大な時計の針がようやく動いて一五日を示すと同時、ゆっくりと鐘が鳴った。
 その余韻が消えぬうちに、特別な羽根飾りをつけた伝令NPCが現れる。彼は国王マクシムに丁寧な挨拶をすると、書簡を手渡して、すぐ立ち去った。
 書簡の形式は城主も国王も変わらなかった。まず呼称が記載され、次に評価内容が詳説されていく。
 マクシムは息を凝らして分厚い書簡を開き、その冒頭を見た。
 そこにはただ一語。
【 僭主 】
とあった。




*




「があああっ!!」
 居合わせた巡回の騎士達こそ気の毒だった。フースケはペナルティもお構い無しに襲い掛かり、見たこともないよう俊敏さで次々と彼らの首を薙ぎ、肋骨の間に針のような細い剣を突き入れる。
 戦闘に加わりたくても加われない低レベルのフェリックスは寧ろ自分が死にそうなくらいの気分で、遠くからアイテムをぶん投げては彼をサポートしていた。
 フースケの怒りは止められなかった。零時を過ぎても尚、引く気を見せず、新しい一団に襲い掛かる彼を見て、フェリックスはとうとう、フースケを叩き殺した方が場が収まるんじゃないかと思い始める。
 だが、さすがのフースケもその一団を潰すとバテた。青草の上に尻餅をついたかと思うと、ぜいぜい言いながら、くの字に倒れこむ。
 フェリックスはため息をつきながら馬でポクポク近寄っていった。
「…フースケ君、いい加減にしましょうよ…。君だけが辛いんじゃないんです。そうやっていたずらに名前を赤く染めて、一体何になると言うんですか」
 フースケは、汗だくの顔をしかめて、もうバカになっている右手の剣をやっと離すと、
「なんでだ…?」
と言った。
「はい…?」
 フースケは弾みをつけて体を回転させると、起き上がった。両手を腰に当て、言う。
「ペナルティで戻ってくるダメージが、えらくヌルい…」
「――えっ」
 フェリックスの顔も、ふと真剣になる。
「本当ですか?!」
「いつもなら、こっちが与えたダメージの半分は戻るだろ…。ところが今のは…、せいぜい六分の一だった…」
 高台にあるシテから吹き降ろす風が、二人の髪の毛を乱した。




*




 センシュ。
とは。
暴君のことだ。
 力に頼って人々を支配し、自分こそが世界の帝王であると、僭称をする人間のことだ。



 めまいを感じたその時、
 ――おい
 どこかから声がした。
 誰もいないはずだ。囁きでもない。
 マクシムが視覚より先に自分の精神を疑ったその時、二声目が耳を打つ。
 ――僭主と呼ばれる気分はどうだ?
 マクシムは思わず、書簡を手にしたまま、立ち上がった。本当に、部屋には誰もいない。随所にともされた灯りが、僅かに揺らいでいるだけだ。
 だが間違いなく、画面には文字列が並ぶ。これはなんだ? …誰かのいたずらか?

――おれが誰だか分からないのか。はは…
――相棒だってのに
――人間の相棒さえ、昨夜斬ったじゃないか
――おれでな

 マクシムは驚愕して飛びしさった。
 傍らの壁に吊るしてあった『王の剣』に無数の小さな口が開いて、それが彼の狼狽を見たかのようににたにた笑っていたからだ。




-EOF-




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