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千年孤独
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 建国三年目を迎えるトリエントーレ王国の中には、十一の貴族領がある。ほとんどが二年前の建国時に、平和裡な外交交渉によってトリエントーレに加わることを決めた小国であり、現在も税制以外、ほとんどの権利を残存した、実質的には独立国家に近い存在である。
 とはいえ長らく続いた国家としての体裁を無くしたのもまた事実であり、世代交代などを機会に領内で幾らか揉めることもあった。
 今もっとも深刻な内紛を抱え、宮廷と摩擦を生じているのが、中部の中級貴族、ナルシウス侯治領である。
 穏健派の前侯爵が二月前に不慮の事故により死亡。その後を継いだ侯爵の弟グレシオが、国政復古を連想させるような政令を矢継ぎ早に発したせいで、領内が独立派、反独立派に決裂し、随所で小競り合いを起こすなどしていた。
 特に国都イリアに近く、もっとも経済的恩恵を被っている東部の街グスクは反独立派の牙城である。今月に入り、街の有力商人達が傭兵を集め始めたとの報に接し、宮廷も特別な注意をさし向けて、事態を注視していた。
 交戦間近と見られた先週、宮廷側は自重する旨の書簡をナルシウス侯へ送った。しかし、グレシオ・ナルシウスは書状は受け取りながら、軍隊を解散させなかった。王の勧告を黙殺したのである。
 宮廷側は事態の深刻さを思い知り、普段は外交担当である宰相オッシア・アルアニスを同国との内政交渉へと送り出した。
 しかし、彼の到着は一歩遅かった。オッシアが馬上から荘厳なナルシウス邸の床に降り立ったときには既に、グスクは灰になっていたのである。 侯爵は自ら馬に乗って戦跡を案内しながら、オッシアに向かって「もしも彼等が先に攻撃さえしなければ、自分達も手出ししなかった」と言った。





「まさかあの商業都市を全滅させてしまうとは」
 王は手袋をはめた手で額にさわり、低く呻いた。
「信じがたい。グレシオ・ナルシウスは正気か?」
 執務室のテーブルには、王の他に重鎮だけが集まっていた。宮廷付属騎士隊長ギード・ファレ、宰相アルアニス、次官リキシル・エリシウス、内務長官ジバル伯の四名である。
 みな創立以来のメンバーであり、王が心情を吐露できる数少ない友人達でもあった。
「とんでもない男が出てきたもんだ。歪んだ賢しい正気は、並みの狂気なんかより数段質が悪いんだぞ」
 ギードはそう言いながらも、笑っていた。たくさんの皺が寄る陽に灼けた頬で
「この男を見ていれば分かるじゃないか」
と、隣のオッシアの椅子の足を軽く蹴る。オッシアも特に否定しないで二三度頷く始末だ。
「まあ冗談はおくとして」
 内務長官が話を元に戻そうと、咳払いをした。
「卿、取り敢えずナルシウスは宮廷への出仕、さらに評議会での喚問に関しては同意したのですな?」
「ええ、ひどく淡泊に。五日後に到着の予定です」
「どうしてそう堂々と構えていられるんでしょう」
とリキシル。
 この髪の毛を後ろに撫でつけた美しい青年はオッシアの片腕である。今回の蛮行に優しい心を痛めていた。
「…彼は評議会で断罪されることが、恐ろしくないのでしょうか?」
「断罪か。成程リキシル。で、一体我々は何を断罪すると言うんだ?」
 筋肉質の腕を組んで、ギードが口を開く。
「彼のしたことは虐殺です」
「確かにやりすぎだったかもしれん。だが、内政を維持していくための、討伐行為だと言われればそれまでだ」
「しかし、その討伐行為は明らかに私的目的でなされたもので、国家に資するためではありません。国法は私刑を禁じているはずです」
「確かに私刑は懲罰の対象だ。しかし、私的行為であるとどうやって証明するんだ?
 今回のグスク襲撃の目的が独立派の粛清であった事は確かに明白だが、それを証明するのは容易じゃない。なにしろ街は全滅したんだからな。奴はいけしゃあしゃあとトリエントーレに対する謀反の徒を懲らしめたとでも言うだろうよ。……そうだろ?」
 顔を向けられたオッシアは、目を閉じて頷いた。事後説明は注意深く行われ、結局オッシアはグスク襲撃について非難することすら出来なかったのだ。
「グレシオは単なる凶暴な男とは違いますよ。彼ははっきりとした目的を持ち、そこへ至る手段は選ばないだけです」
「はっきりとした目的?」
口を挟んだ王へ、オッシアは視線を戻した。
「……この国から独立し、もう一度ナルシウスを国家として成立させることです、王」
 苦々しい表情で、王は顔を傾ける。
「その目的を遂げさせるわけにはいかん」
と、低い声で彼は言った。
「何のために今更、国家を再建するというのだ。……そんな行為は下らない名誉以外、何も産みはしない」
「御意」
ジバル伯が相槌を打った。
「なんとしても阻止しなければ」
「……オッシア」
 王は頬づえを解いて、改まった声を出した。
「はい」
「何とか穏便に、この件を鎮めて欲しい。国内で、宮廷軍と貴族の私軍が戦闘を起こすことだけは絶対に避けねばならん。ガラティアとの戦役も収まらない現在、そんなことになれば国は保たない」
「仰るとおりです」
「私的行為の立証だが、評議会開催期六日間で、出来そうか?」
「……どうでしょうか。議員達にもよりますが」
彼は何やら間延びした調子で、首を曲げてみせる。
「どうしようもなくなったら、まあその時はその時ということですか」
「あなたはいつもそういういい加減なことを言う」
 隣でリキシルが愚痴をこぼした。
「その度ごと、僕が胃を痛めていることをご存じなんですかね…、まったく」
「大丈夫だよ、リキシル。そんなことを言いながら卿はいつもちゃんと仕事をして下さるじゃないか」
 ジバル伯の取りなしに、ギードが水を差す。
「いやあ、こいつはいざとなりゃ国なんぞ棄てちまう薄情な男だよ。いつも損得勘定だけで動いてるからな。こういうやつこそ注意した方がいいんだ」
「ギード、ちょっと尋ねるが口は災いの元という言葉を知っているかね」
「ああ」
「そいつは結構」
と、立ち上がりざま、伯爵は彼の頭を円めた書類の束で叩いた。




*






 グレシオ・ナルシウスは、今年三十七を数える壮年の男性である。しかし、実際に彼に会見した人間は、最初五十路かと勘違いする。それは痩せた厳しい顔つきに加え、頭髪が既にほとんど白くなっているからで、彼は実際いささか見事なくらいの若白髪だった。
 その銀色とも呼べる頭髪を切れ長の目元に二三本垂らし、元来男前の顔に不敵な笑みを浮かべている様はよく言えばやり手、悪く言えば無慈悲な人間に見え、宮廷での評価もまっぷたつだった。
 複雑にざわめく人垣を割って、侯爵が姿を見せる。彼は全身黒ずくめの堂々たる軍装だ。さらに意外なことに、真っ白の服を着た女性を一人伴っていた。
「ありゃ誰だ?」
 オッシアよりもさらに頭一つ分身長の高いギードが、その特権を遺憾なく発揮して一番最初に言った。王を含めて他の重臣には、人々に阻まれて彼等の姿すら見えない。
「……誰か連れていますか?」
「ふん、女を一人左へ連れてるぜ。万人受けする顔じゃないが、なかなか美人だ」
と、彼は背伸びをしながらどうでもいいことを付け加えた。
「あの男は独身じゃなかったのか?」
「そのはずですが」
 貴族と言えども、継承者ではない次男には特権が薄い。いわば長男の家の厄介になっているわけだから、結婚を遠慮する人間も多いのだ。
「俺には恋人に見えるがな。…ああ、素敵に手袋までしちゃって。もうほとんど王者の貫禄だな、あの男は」
 その言葉を最後にギードは口を噤んだ。二人が王座に近づいたためだ。
 最後の人垣がゆっくり左右に別れて、侯爵とその連れの姿が王と重鎮達の前に明らかになった。その黒と白の対照に人々が息を呑むのと同時に、オッシアの眉が上がる。
「……」
 ――― 侯爵が連れている女性。その白づくめの淑女に見覚えがあった。彼の地で宴会の最中、気分が悪くなった彼を介抱してくれた、あの女性である。
 ゆっくりと、オッシアは左手の上に右手を重ねた。それが彼の驚きの表現全てだった。
 女性はきちんと結い上げられた髪の毛の下で、どことなく憂鬱な表情をしている。侯爵の右腕に回した左手に引きずられるように、気の進まない様子で歩いていた。
 侯爵は丁度リキシルの前で止まったが、女性は誰の顔も見ようとはせず、ただぼんやりと絨毯を眺めているようだった。
 自治領を持つ貴族は膝を折る必要はない。ナルシウス侯爵は立ったまま、衆人の視線の中で非の打ち所のない美しい礼をした。
「……遠路ご苦労でした、ナルシウス侯」
王が穏やかに、口を開く。
「王都イリアが気に入って頂けたら良いのですが」
「大変活気のある都市と感心いたしました」
 侯爵はよく通る若々しい声を持っていた。
「商業都市として大陸随一という噂にも納得です」
「商業都市と言えば、侯。この度あなたをわざわざお呼び立てしましたのも、それにまつわることです。既にお分かりですな」
「ええ、存じております」
 こともなげに侯爵は肯定した。その厚顔に場の雰囲気が音もなく騒然となる。
「……あれはいささか、苛酷に過ぎませんでしたかな」
「苛酷」
「ええ。いかに治安維持の為とは言え、貴君の行為は少々度を超されたようだ」
「しかし陛下、私の思い違いでなければ」
 ぴく、とオッシアの眉が動いた。
―――― しまった。
「確か倫理上の咎で人を裁くことが出来るのは教会権力のみであったと了解しておりますが」
 不穏な声の靄が、謁見の間に満ちた。向かいに立っているジバル伯の目が少し、動く。
「……裁くとかいうことではない。一般的な話をしています、侯」
 王は元々、教会聖職者である。しかし諸般の事情により脱退し、現在は妻帯している。そのため、原則的に還俗を認めない教会は未だにトリエントーレを認証していなかった。トリエントーレ国内の事件である限り、教会権は全く動かないのだ。
 ナルシウスの言葉は王国の最大の懸案を突いたものであり、王としては発言を公的なものではないと言わざるを得なかった。
「被災した人民達の苦しみを真摯に考えていただきたい。立場などに拘泥している必要はありません」
「これは失礼を致しました」
 侯はすぐ謝った。しかし唇から笑みが消えていない。まだ二十代の王の若さを笑っているように見えた。
「国体に影響しない程度に考えることに致しましょう」
 王の私見は無視の対象となりえる。トリエントーレ国王は絶対者ではないからだ。
 オッシアの向かいで、リキシルが何やら口の中で転がしていた。呪いでも呟いているのだろう。
「……さて、ところでそちらのご令嬢は」
 王は狼狽も見せないで話題を変えた。彼が忍耐強くて助かるな、とオッシアは胃の中で嘆息する。
「一体どなたなのですか? あなたはたしかお独りであったかと思いましたが」
「失礼しました。陛下、これは……」
侯爵は軽く頭を下げた。
「亡くなりました兄の遺児、ソフィリアでございます」
 驚いた人々の囁きが雨になって、彼女の頭に降った。それでも少しも表情を変えようとしない。聞こえていないのかと思われるほどだ。
「ほう、それは知らなかった。……亡き侯爵殿には、お子がござったか」
「はい。しかし身分の低い女の、子ゆえ、公には致して参りませんでした。今回が良き機会かと存じまして、御前へ連れて参った次第です」
「そうでしたか。……ソフィリア殿」
 王の声に応じて、ようやく彼女は顔を上げた。が、彼女の手を受け取ろうと差しだされた王の右手を見るなり、はっと身を堅くし、叔父の背に隠れるように後ずさりをする。
 不穏などよめきが起こった。
「……陛下。どうかお気を悪くなさらないで頂きたい」
全体に聞こえるように、侯爵が取りなす。
「この娘は非常に潔癖な質でございまして、私以外の男性には触れることも触れられることもならないのです。どうかご容赦下さいませ」
 奇妙な発言だった―――。オッシアでさえ、眉を曲げたほどだ。
 だが、王は、
「よろしい」
と言った切り、大人しく手を引っ込めた。
「言の葉ならばよろしいかな? ソフィリア殿」
「はい……」
 ようやく彼女は声を出した。
「どうか滞在中、お気を楽になさり、ここを我が家と思っておくつろぎなさい」
「ありがとう存じます」
 意外なほどなめらかな動きで、ソフィリアは貴婦人の礼をした。まるで聖職者の前に跪く花嫁の宣誓のように、妙に静まり返った満場に響く。
 王は微笑みを浮かべ頷くと、今一度侯爵の方へ眼差しを向けた。
「さて、今晩はささやかながら、貴君を歓迎するために宴を用意してあります。お疲れではありましょうが、どうか存分にお楽しみ下さい。
 ……私はこれで、一旦失礼します」
 王の退出が緊張の糸を切った。主のいない広間の中で、どっとばかり軽はずみな口が開く。
 その声の暴力の渦の中心に在りながら、グレシオ・ナルシウスは人々よりも一段高いところに身をおいて、下の騒ぎを眉根一つ動かさず、厳然と無視していた。
「……大したもんだ」
 ギードがぼそりと言ったその台詞に、オッシアは黙って一度首を縦に振った。本当に、大したものだ。







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