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千年孤独
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評議会特別集会の三日目を迎える頃には、オッシアはもう、今回の事件における私的行為立件を諦め始めていた。 もともと侯爵の行動をあてずっぽな急襲だとはみなしていなかったが、これ程までに法理的にもそつのない行動だったとは。改めて感心するばかりである。 彼は硬い木の椅子の上で、半ば眠るように目を閉じて、議員の追求、それに対する侯爵の落ち着き払った答弁を聞いていた。 この三日間、法学者でもある評議会議員達は、手を変え品を変え彼の違法行為を証明しようと懸命の努力を続けていたが、それはどうやら達成されそうになかった。侯爵は論点を的確に押さえていて、一言の失言もぼろも無い。 ――― もはや私的行為による懲罰によって、彼の行動を押しとどめるのは無理だな。 オッシアは目の前の二枚の紙になにやら書き付けると、両方を後ろに控えるリキシルに渡した。青年は黙ったまま議場を出ていく。 「どうやら侯爵は本気で独立をするつもりらしい」 インク壺に蓋を被せながら、オッシアは呟いた。隣に座っているジバル伯は大きなため息をつく。 「話が大きくなりそうですな」 「全くです。……議長」 前触れもなく彼が手を上げたので、伯爵は飛び上がる。 「卿?」 「ちょっとお喋りしてきます」 さっさと演壇の方へ下りていった。年寄りのジバル伯にはとても着いていけないらしい。目をぎゅっとつぶって、首を左右に振っていた。 「宰相オッシア・アルアニス卿の質問を認めます」 女性の議長に促されて、オッシアは演台に用意された質問者用の机に立つ。 目の前の侯爵は相変わらず泰然とした面構えで、この若造を真っ向から見つめていた。 被尋問者の立場にありながらのこの威厳を、虚勢だと言うのはたやすいが……、この男を何と呼ぶ? ――― 遅れてきた大貴族。よろしい。 「これは今回の件には直接関係ないかも知れませんし、私的好奇心から出てきた質問でありますので、もしも侯爵、ご不快ならご返答頂かなくとも結構です」 と、彼は前置きする。侯爵は鼻で笑った。 「どうぞ」 「恐れ入ります。 それではお尋ねします。貴君は施政者として政治的決定をなさる場合、何を根拠になさるのでしょうか」 「正義です」 きっぱりとグレシオは言う。ざわざわ、と人々が動いた。 「それでは……、静粛に願います。それでは、その正義の内容について重ねてお尋ねします。 先日貴君も仰ったように、正義は教会以外の法人、自然人には定める権利がありません。貴君はその信条をなんの正義においてらっしゃるのですか。いずれかの宗教にでしょうか、それとも我が国の国法ですか。あるいは……」 「古来より受け継がれてきた偉大なる先人達の道徳です。それは成文であろうとなかろうと一種の法律とみなし得ます」 拍手が出た。ある貴族が感嘆のあまりに叩いたのだ。すぐに周りから押しとどめられる。 「……貴君は先祖より受け継いだ徳高き慣習に従うということで、間違っておりませんか?」 「基本的にはその通りです。 さらに確認させていただければ我々自治貴族には、従来の宗教倫理、習慣を維持していくことが国法に認められているはずです」 「仰るとおりです。……しかし、侯爵。それには『国民を害さぬ限り』という制約がついていることをお忘れではございますまい。 ……私は先人の道徳に従って発された政令が」 オッシアは淡々と続けた。 「統治民の利益を害するという事態に遭遇した場合、貴君がどうなさるのかお聞きしたい」 満場が息を詰めて、侯爵の反応を伺った。宰相の質問が今回のグスク襲撃事件を暗示しているのは明らかである。 侯爵は質問の意味がわからないが、といった顔をした。 「下らない質問をするものだ」 冷淡な笑みを湛えて彼は一言、 「先人達の道徳が領民達を害するなどといった事態は有り得ようがない。なぜならば領民達は常に」 「恥知らず!」 野次が飛ぶ。議長が静粛を怒鳴った。 「領民達は常に主人の判断に従い、社会の中で部分としての生を全うすることがその幸福だからだ」 「何を言うのだ!!」 「削除だ! 削除だ!」 今度こそ議場が怒声に沸き立つ。振り上げられる拳の中にはしかし、侯爵を援護する声も混じっているようだ。 オッシアは混乱の中でしばらく侯爵の顔をじっと見ていたが、やがて深く頷くと、 「これで終わりです」 立ち上がった。 再び質素な評議会の椅子に、やや乱暴に背中を戻しながら、ため息でも吐き出すようにオッシアは言った。 「彼は頭は切れるが、昔の人だ」 「新しいあなたとは喧嘩になりませんかな?」 「私は新しくありません」 足を組む。 「中くらいです。感情とは別の部分で、この流れが本当に良きものなのか、まだ判断しかねていますからね」 ようやく静まった議場の中、次の質問者が壇上に上がるのを見つめていたオッシアの肩を、戻ってきたリキシルが叩いた。 小さな紙切れを受け取る。ちらりと中身を見ると、彼は表情も変えないままそれをくしゃりと握りつぶした。 * 「ナルシウス侯治領内における宗教の現状についての報告―――。 領内にはおよそ三つの正系教会が存在し、もっとも一般的な宗教として定着している。 その一つがグスクの教会であったが、先の戦役により教会自体は破壊された。司祭らは一時拘束されたものの、その後解放されオデッススの正系教会本部へ送り返された模様。 このことに関して、他の二つの街に存在する教会は沈黙を守っている。理由としては聖職者の人的被害が出なかったこと、侯爵の反応を恐れていること、さらに正系教会自体が王国を認可せず、内部の事情に口を出すことを未だに拒んでいることが上げられる」 コト、と横からカップが差しだされる。 「どうぞ」 と言うのは、もう長く彼の部屋の世話をしている侍女のシリーだ。 「ああ、どうも」 簡単に礼を言って、オッシアはそれに口をつけた。 「リキシルは帰ってきましたか?」 彼女はリキシルの妻でもある。オッシアの問いにちょっと睨み付けるように彼を見た。 「何か仕事を命じたのはあなたじゃないんですか?」 「あ。ああ、そうか。ごめんなさい、私です」 「忘れられてかわいそうなキリシル。今夜はいつ頃帰ってこれるのかしら」 冗談めかして笑う見慣れた横顔を、オッシアはじっと眺めた。 「? なんですか?」 「……いや、ごめんなさいシリー。ちょっと手をかしてくれませんか」 「え? 手? ……こう?」 と、お盆を小脇に挟んで彼女は右手をそのまま彼に示す。母性的でなかなかに美しい手だ。 「ちょっと握ってもいいですか?」 オッシアの問いにシリーは笑い出した。 「どうしたの? あまり他人の肌に触りたがらない人が。それは、別にいいですけど」 許可をもらったので、彼は彼女の右手に掌を重ねてみた。しばらくそうしていたが、やがてちょっと首をひねったかと思うと、 「どうもありがとう」 と言ってそれを離す。 「なあに?」 「いやー……、こっちのことで。失礼しました」 頭をかきながらオッシアは言葉を濁した。シリーはいささか奇妙なこの男の振る舞いに慣れていたとはいえ、やはり目を丸くする。 「変なの。リキシルが帰ってきたら、あなたが私の手を取りたがったと言わなくちゃ」 「それは勘弁してくださいよ。私はまだちょっと死にたくないな」 何に対してもひたむきな好青年リキシルは、実は厄介な焼き餅屋でもある。オッシアの口調は冗談半分、そして本気も半分だった。 |