<< novels
千年孤独
= 6 =
「ナルシウス侯治領内の現状についての報告―――。三日朝、領内において印刷物が配られる。内容以下の通り。 一、兵役年齢に達している者のうち礼状の届けられた者は集合すべし。 二、兵役年齢に達している者のうち礼状の届けられぬ者は、各地域において勤労励むべし。 三、領内にて不審な動きをする者あらば直接侯爵邸へ報告すべし。 四、各市町村は、兵士、騎士、その他侯爵の命令により動ける者達への援助を惜しまざること。 五、以上四則を守らざる時は、厳罰に処す。 昨今、上記三番の理由にて捕らえらるる者多し。直接報告ゆえに、密告者の名前明かされず、陰謀の疑いもあり。 にもかかわらず領内はまことに平穏なり。農民達は酒場にて侯爵の名を唱え万歳す。誇り高き栄光の君主を持って幸せなりという――――」 これが現実だ。 と、オッシアは手紙を燃やしながら思う。これが現実である。 オッシアが自分を中盤の人間とみなし、厳然たる民主政治を導入することに迷いを覚えている理由の一つがこれであった。 進歩的な学者達は中庸に堕したトリエントーレの政治体制を批判し、さらに合理的な、もっと過激に自由な社会の実現を叫んでいる。 しかしもし、各個の自由が完全に尊重され、一人一人が切り離された単体として個別に存在する、そんな現実が到来したとき、丸裸にされた人間はその無限の孤立に耐えられるのだろうか。 トリエントーレでさえ、国王というわかり易い象徴を持たなくてはならなかった。彼に従来ほどの権力はないと言っても、なお国民達が尊敬を持って崇めるのは王であって、評議会ではないのだ。 実際に、美しい衣装が必要である。美しい宝石や礼儀や言葉が必要である。トリエントーレは宗教性に問題があるだけ余計にだ。 侯爵の一連の行動はどこへ走っていくか分からない現代への挑戦であり、反動である。しかしそれが被統治の側からすら歓迎され、喜ばれているのを彼は目にしているのだ。 ―――― 間違っているのは侯爵か。それとも自分か。 オッシアは千回も繰り返した問いをまた呟いた。そして結局また、同じ答えに辿り着く。 正誤の判断では答えは出ない。一見背筋正しそうな彼の文法に翻弄されるな。問題は全て血の流れる量だけにかかっているのだから。 * 「で? 奴は戦争でもするつもりなのか、県境に沿ってこれ見よがしに兵隊なんぞ並べやがって」 ギードは不機嫌そうに頭の後ろに両手をやって、ぐっとのけ反った。彼が腹を立てるのも道理で、侯爵の徴兵、布陣によって彼も明日、県境へ出動せねばならなくなったのである。 しかも戦争をしに行くのではなく、ただにらみ合い、向こうの出方を待つためだけに行くのだから愚痴もこぼれる。駐屯先の食料物資のことといい、兵士達の風紀の問題といい、彼はこれから大変に難儀な任務をこなさなくてはならないのだ。 「いや、彼は攻撃はすまい。少なくとも今は。 穀物備蓄を考えても、戦争をしたところで勝ち目がないことは目に見えている。むしろ侯爵は、こちら側から打ってでない、絶対に開戦しないと分かっているからあそこまで大胆に兵を並べているのだ」 「でしょうね」 ジバル伯の弁に、オッシアも頷いた。 「あれは国内向けの行動です。なぜならば街道は封鎖されておらず、検閲がもうけられているだけなのですからね。 本当はあわや戦争かと焚き付けることによって、国内の反独立派をいぶし出そうというのでしょう。 事実ここ数日で、何名か著名な商人、学者が姿を消しているようです。いずれも街道沿いの町に住んでいた人間で、恐らく今が戦機と見て、こちらと下手に連絡を取ろうとしたのだと思われます」 「反独立派を根こそぎにするつもりなのか…?」 リキシルが信じられない、といった様子で首を振る。 「粛清に他ならないじゃないか。まるでイリリアの悪夢が再来したようだ……」 と、一時彼が仕えたこともあるかつての王国をおぞましく懐古する。 「しかも、私の受け取った報告によれば、彼は一方である機関と連絡を密にしています」 「まさか……」 王が眉間に皺を寄せる。オッシアが頷くのを見ると、低く呻いて背もたれに頭を付けた。 「教会か……」 「ええ。彼は、教会から国家としての認証を取り付けるつもりなのです」 ギードまでが、思わず口を開いた。滅多にないことだ。 「……何だと?」 「教会はトリエントーレ自体を認めていません。当然公地領の扱いについても曖昧なまま、ずっと明確な表現が避けられてきました。 ナルシウス侯爵はそれに着目し、教会に従来のように、国家としての扱いを確認するように交渉を重ねているのです。 もしも教会が、公地領を国家として認めたら、もう我々には何の手出しも出来ません。もしも手出しをしようものなら、我々は教会の敵として大陸中から攻撃を受けることになりますからね」 唖然とする面々に、オッシアは続けた。 「つまり侯爵は、戦争は一日もしないで独立を果たそうとしているのですよ」 しばらく、執務室の中には重苦しい沈黙だけが存在していた。終いにジバル伯が深いところからため息を絞り出して、その静寂を破る。 「……目的明瞭にして乱暴者に非ず、か」 「……そうです。何も押し破ることだけが彼の手ではありません。 無論、私も教会には圧力をかけています。ここしばらくはその交渉にあくせくすることになるでしょう。 教会は今、トリエントーレとナルシウスとどっちにつくのが良いのか、見定めている最中なのです」 「……あの、思いあがった枢機卿どもが……!」 かつて聖職者であった王の口から、教会を罵る言葉が漏れる。 裁判権を独占している教会は、その権力を駆使して、古来より重要な政治的主体であり続けてきた。教会の最上部を成す教父会は、他でもなく第一級の政治家集団でもあるのだ。 王は両手を硬く組み合わせた。 「早急に手を打たねば、これがガラティアに知れたら面倒事ではすまなくなる」 「そろそろ、本気を出さないといけませんね」 オッシアの台詞に全員が頷く。ギードの不満の虫もどこかに引っ込んで、目に宿る光が真剣になっていた。 「ところで俺は一つだけ引っかかることがあるんだがな」 会議を終えて廊下を歩みながら、この巨漢の騎士隊長は、右下に揺れるオッシアの頭を眺めながら言う。 「グレシオ・ナルシウスはあそこまで明晰なくせに何故、志向が古いんだろうな。経済的にはどう考えても合理的でない小国として独立に、今時あそこまで拘る貴族も少ないぞ。まだ既得権益の確保に汲々とする年でもなし……」 「多分、幼少期周囲の人から受けた心無い扱いのせいでしょう」 そう答えるオッシアの眉間が暗かった。 「あ?」 「両親に顧みられず屈辱に甘んじていた子どもには、栄光それ自体が人生の目標となりえます。尊敬されたいし、もう力のない生活はたくさんだと思うでしょう。 あの人は王族として誇り高き生をなすこと自体が生きる目的なのですよ……」 細い首を曲げて、彼はギードを見上げる。その唇は何やら恨めしげに曲がっていた。 「実際彼は、敵を間違えていると私は思います。 ……ところで彼が入れられたグスクの学院はもう私が行ったときには、影も形もありませんでしたよ」 * 「ですから、証拠が必要だと申しております」 枢機卿は困ったように、白ヤギの眉を八の字にする。 「もし仰るように、ナルシウス侯が領内において、教会信徒の虐殺を行ったというのであれば、その証拠を提出して頂かなくては」 「だから証拠など、あるわけがないではありませんか!」 あまりの空転にリキシルの敏感な神経がとうとう爆発する。手の込んだ切り子細工の机を、華奢な掌でばん、と叩いた。 「グスクは全滅したのですよ! 証人は一人残らず消されたのです。如何に重大な犯罪であるか、お分かりのはずだ!」 枢機卿は芝居がかった調子で目を丸くする。 「おやおやこれは。落ち着いて下され」 「……教会は、信徒を見殺しにされて黙っているような組織ではありますまい? 一体グスクの街にいた神父達は何と言っているのですか」 激昂する部下の隣で、オッシアはやんわりと尋ねた。 「彼等はすぐに街の外に追い出されて、その後のことは分からないと言っているのです」 「とても信じられませんね」 灰色の目が、ふいに冷たく細まる。 「城門が閉じられたとは言え、塀の向こう側から阿鼻叫喚が漏れ、鼻を突く臭気の煙がどんどん上がって、あまつさえ二日の間燃えさかっていたというのに、彼等には中で何が起こっていたのか分からなかったというのですか」 「…………」 枢機卿は皺だらけの首を振る。自分がこんな男の正面に座っている不運を嘆いてでもいるのだろう。 「……今、彼等はどこにいますか」 「それが行方をくらましましてな」 「きっと教会の中ででしょうね。……ナルシウスはそれと引き替えに、幾らあなた方に払いましたか」 「何のことでしょう」 話にならない。オッシアは目を閉じた。 「……あなた方が正義にまつわる権力を持ちながら、事態を見て見ぬ振りをしているために、あなた方よりも恵まれぬ他の誰かが血を流すことになるのですよ。 ……よろしい、証人は必ず連れて参りましょう」 リキシルの目が、不安を孕んで主人を見る。 「よろしいですか。くれぐれも私を出し抜いたり、約を違えたりなさらぬよう。 ご存じのように私は教会に信仰を一切持たぬ人間です。非教徒が如何に野蛮な振る舞いをするか、毎朝の説教でもお聞き及びでありましょう? ……どうか、長生きの道を」 青い顔を引きつらす枢機卿を残し、オッシアは立ち上がった。 この恫喝はいつまで保つだろうか。三週間。いや、そんなには続かないだろう。黄金を供給したとして、二週間が限度だろうか。 「…………」 リキシルは浮かない顔で、主人の後を着いてきた。 「リキシル」 自分の名前を呼ばれて、まるで叱られた子犬のように、びくりとする。 「……はい」 「やむ得ません。彼を呼んで下さい」 青年は美しい目元を曇らせる。しかしやがて掠れる声を出して、 「……はい……」 と肯んじた。 |