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千年孤独
= 9 =
「……孤独という絆によって、叔父と私は早くから友人となりました。 両親は私のことなどほっぽらかしで、私はよくがらんとした邸内を誰かしら構ってくれる人を探してさまよったものです。 召使い達は、出自のせいで私を無視していました。廷臣達に出会うことは稀でしたが、彼等は尚更です。 叔父だけが私を見つけると抱き上げてくれました。私はよく叔父の膝の上で、彼の勉強を邪魔しながら午後を過ごしたものです。 ……私は叔父が好きでたまりませんでした。叔父も家族がいない分、余計に私を大事に思ってくれたようです。 十代半ばも過ぎる頃になると、私と叔父の仲の良さは傍目からして、男女のそれに見えたかも知れません。直接、警告を受けたり注意されたりすることもありました。けれどその頃は、叔父は本当に私の父であり、兄であったのです。 彼は私が成長するに従って、私の体に礼儀をつくしてくれるようになりました。不用意に触ることはおろか、下品なものにせよそうでないにせよ、恋愛に関する言葉を囁かれたことすらありません。私は叔父から不愉快な思いをさせられたことなどなかったのです。 ……私はこの世に、叔父ほど私のことを理解し、愛してくれる人はいないと思っていました。何もかも、信じ切っていたのです」 オッシアの前で、ソフィリアは今までの沈黙を押し破るかのように喋った。そのせっぱ詰まったような口調には、私だけが彼の真実を知っているのだという必死さが滲み出ていた。 けれどここまでくると、彼女の声はふいに勢いを失った。ソフィリアは徐々に視線を落とし、髪の毛に再び表情が隠されてしまう。 「……両親が死んだ本当の理由を知ったのは、葬儀の直後です……。叔父はにわかに忙しくなり、私は構ってもらえなくて不満でした。 ……ある日彼を探しに部屋へ入って、偶然手紙の束を見つけました。……私ったらそれが誰か女性から来たものだと早合点して、猛然と中身を確かめたのですわ。 ……手紙は、廷臣達が行った偽装工作に関する報告書でした。叔父は、それをいずれは焼くつもりだったのでしょう。でも万が一の裏切りに備えて、保存していたのです。 叔父が事故に見せかけて父母を殺したのだ。……私は両親の死を悲しんでいませんでしたが、その事実はやはり衝撃でした。 慄然として振り返ると、そこに叔父が立っていました。 ――――火花が散りました。 私を信じるのか信じないのか、彼が葛藤をしているのが分かりました。 でも私には、一体彼が何を悩んでいるのか分からなくもありました。私が彼を裏切るはずがないではありませんか。 ……彼が殺したのなら、私も共犯者にして欲しかった。叔父と同じ運命を辿る許可が欲しかった。 だから私は、微笑みさえ浮かべて待っていました。彼が今までと同じように、私の手を取ってくれることを」 オッシアは腕を組んで、思わず目を閉じた。 愚かで馬鹿で……、哀れなナルシウス――――。 「……結局、彼は私を信じませんでした。 有無を言わせず私の腕をつかむと、口封じをしました。彼は口約束など信じません。私を突き倒して陵辱し、暴力によって私を支配しました。 ……かつて私を慰撫してくれた優しい手が、一つ一つ私の幸福な記憶を蹂躙し、叩き潰していく音がしました。 そして私は、世の中に、自分が独りきりであることを知ったのです。 叔父は究極のところで彼の経験だけを信じました。それは人間は自分の力以外に依るものなどない、という黄金律です。それによって私も分かりました。 あれはみんな―――、夢だったのです。 私はもう二度と、人を愛したりしないようにしようと思いました。こんなにも辛い、こんなにも悲しい思いをするのは人生に一度でたくさんです。 ……複雑な私の胸の内を、真っ先に分かってくれたのは体です。私は体に教えられるように落ち着きを取り戻しました。 私は一切の男性に触ることが出来なくなりました。男性の側に立つと震えが出て、ひどい時には吐き気やめまいを感じるようになったのです。 これが私の望んでいたことでした。そして、そんな状態の中でも、私は叔父にだけは触れることが出来たのです。 ……結局まだ、私は諦めていなかったのです。いつか叔父が……、また昔のように優しい叔父に、戻ってくれるんじゃないかと……。 でももう、そんな望みを抱くことは難しくなりました。叔父は自分では止まることが出来なくなっています。私は、彼を止めてあげたいのです。 ……叔父を売りに来たというのに、虚言でしょうか。でも私はただ、彼を愛しているだけなんです。昔通りのあの人に、戻ってもらいたいだけなんです……」 ソフィリアは顔を上げた。そこには破れかけた微笑みが浮かんでいる。それに応えたオッシアの笑みにも、苦い悲しみがあった。 ――― 一体何の権利があって、自分はこの人の秘密を、ふさがりきってもいない傷を暴き立てるような真似をするのか。 ……どうして見ない振りをして、彼女を政治とは無縁な個人の世界へ放っておいてやれないのだ? 「……これから先、どうなさるのですか」 実際、国なんか滅ぼしてしまえばいいではないか。エイクの心臓をああまでも手荒に抉り、この人に衆人の中で証言を強いるくらいなら。国の安泰などという解決は彼等の傷になんの慰めももたらさない……。 「証言が終わったら、私は伯母と一緒に修道院へ参ります」 こうやって何かを解決するごとに自分は、近しい友、遠き他人を傷つけ、その運命まで狂わせる。 「では、紹介状をお書きします」 しかも国家という建前の後ろで、間違いなく自分のために、正しいかどうかも定かではない自分の理想の体現のためにそうしているのだ。 ただ身に纏っているものが公章だから、大きな顔をしていられるに過ぎない。 「ありがとうございます」 やはり私は「鬼」だ。本当は侯爵を弾劾する権利など、どこにもない男なのだ……。 オッシアが心の中で苦々しくつぶやいたその時、 「卿」 呼ばれて、彼は慌てて顔を上げた。 「はい……?」 「手をかしていただけません?」 「え?」 「今、心が……その、ばらばらなんです。……だから前やったように、手を握ってもらいたいんです」 ソフィリアは恥ずかしげに笑う。 「子どもっぽいと思われるでしょう。でも昔から、私にはこれが一番で……。……申し訳ないのですけど今のところ、私に勇気を下さる手は、目の前にあなたのものしか知らないのです」 「私の手が?」 急に柄にもなく、オッシアは大きな声を出した。 「……あなたの役に立つと仰るんですか?」 あまりに意外なことを言われて、彼は呆気にとられる。自分の汚れきって無力な血塗れの手が、いつか自分を助けてくれたように、彼女を助けるなどと……、そんな…… 「…………」 動かない彼に向かってソフィリアはいとけない少女のように、にっこりと微笑む。そして両手を前に差しだした。 「一回だけでいいんです。 ……辛いときに手を握るのは、叔父が教えてくれたことの一つです。でも最初私に手を与えてくれたあの人にはもう多分、一生会えなくなりますの。 彼を思い切って生きていくためにお願いです卿。今回だけ、手をかして下さい」 オッシアは渋っていたと言うよりも、信じられずにいたのだった。ためらいながら彼女に近づいて前に立つと、両手を包み込むように、左右からそろそろと握ってみる。 瞬間どきりと跳ねる生の血脈を感じたのは彼の方だ。 「やっぱり違う。立場が逆ですよ、ソフィリア」 頬の赤くなるのをごまかしながら、オッシアは慌てて文句を言う。 「……助けていただいているのは、わた……」 言葉を紡ぐことが出来なくなって、彼はつまずきでもしたかのように彼女の隣に腰を下ろした。彼女は目を閉じ、夢でも見るような顔をしている。 「…………」 それを眺めながら、あり得ない、という気がした。 そんなことがあるのだろうか。自分の両手が誰かの幸福に役立つなどと、そんなことがあるのだろうか。 今も……、そら今も、脈の音が流れるごとに世界が戻ってくる。 無数に蠢く迷いと躊躇と決断の中で、ばらばらになっていた心が戻ってくる。 人間らしさをかき集めるように、掌と掌を合わせるのだ。その暖かみを自分の手が彼女にも与えているなどと……。 そんなことが……本当に……。 ほんとうに……? ソフィリアが目を開く。そして、 「どうもありがとう」 どこかぎごちなく礼を言って、ゆっくりと手を放した。 まだ呆然とした表情のままで、彼はなされるがまま手を解く。 彼女は立ち上がると彼の部屋を出ていったが、扉が閉まった後もオッシアはしばらく、夢うつつだった。
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