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故森幻想
The Dream Killing You
= 5 =
「このような状況下でご連絡頂き、本当にありがとうございます。教会の持つ力の強さに改めて感心しております……。 こちらは陽が昇る度に物々しさが増していきます。毎夜その勢いが止まればいいと思いながら床につきますが、翌朝にはその願いが聞き届けられていないのを目の当たりにしなくてはなりません。 東部には武器があり、戦う理由があり、多分義があるのです。昨日、令嬢はつわりに苦しむのも構わず閲兵式に参加し、キールが並んだ騎士達の前で演説しました。それは実に感動的な内容で、彼は死んだ卿を偲び、その暗殺の不当さ、卿の無念さについて力説しました。そして東部はこの不正を見過ごすことは絶対にできないと。 その後、レンシアも少しばかり喋りました。彼女は難しいことは何も言いませんでしたが、それがかえって効果的でした。彼女は森の神々が自分達を守ってくれると言ったきりです。 それだけで騎士達は皮膚の下に流れる土着の血の誇りを思いだし、義ある東部民に産まれたことを涙を流して喜んでいました。彼等の勝ち鬨がこのよそ者の心臓にまで響いてきて、まるで大地が揺れているかのようでした……。 私は今日、一日書庫に籠もっておりました。けれど夕方、ふらりと離れに参りました。そして心臓を苦しめることでもしたかったのでしょうか。私は初めて寝室へ入ったのです。 部屋は卿が慌てて出ていったままでした。部屋着や靴や、無論肌着や……、洗面台には剃刀がありました。彼のものらしい砂色の髪の毛も目にしました。 確かにここに彼はいたのだと思いました。その事実は動かしようがない、と。 それから寝台の前に立ちました。 清潔な白いシーツが目に染みました。 こんなことがあっていいのか。 そう思うと、やり切れませんでした。 人を愛することは簡単です。正しく愛することが難しいのです。そして正しさとは何でしょう。私はそれを、相手の人生や希望を尊重することだと思っています。 ……だから、あなたの来るのを心からお待ちしております。彼が令嬢と寝たはずの平和なシーツに触れたときから、私の心は落ち着きました。 どうか短い道中とは言えお気をつけて。事故などに巻き込まれることがございませんように。 最後になりましたが、イリアの情勢についてのお知らせありがとうございました。行商すら怠りがちな現状において、大変な助けになりました……。」 *
ディオラント民話集より「恋歌Z」 * 夜の中庭に篝火が焚かれるようになった。長月を焦がすように、あちこちで赤い原初の火が揺れていた。それに横顔を照らされた騎士達の顔は生気に溢れ、誇りと緊張とが漲っている。 いよいよ開戦も間近と見られていた。何かの些細なきっかけ一つでこの静寂は破られ、……その後には赤い晩秋が来るだろう。 麦の刈り取りも終わった。兵士達は各々の家で今、農具の代わりに武器を磨いているのだろう。 ジリオが一人の客を連れてきたのは、もう夜も更けた時刻だった。卿のことについて重要な来客があること自体は既に昼間、彼が喋っていたので、レンシア、伯爵、さらに引きずり込まれたキールは客間に集まって、もう一人のよそ者が来るのを待っていた。 「長らく宮廷で侍女としてお勤めだった方です」 と、ジリオは彼等に説明していた。 「卿の片腕であったリキシル・エリシウス次官と結婚なさり、公私共に建国の時から卿と苦楽を共になさってきたのです。面白い話がたくさん聞けると思いますよ」 そして入ってきたのは、非常に地味ないでたちをした女性だった。俗世を微塵も感じさせないその時代遅れな服装は、正系修道会のものだ。 「この方は修道女ではありません」 ジリオが皆の疑問に応えて言う。 「ただ現在、宮廷からの追求を逃れるために、修道院でお暮らしになっているのです」 男爵の額が同情に曇り、目に見えて場の雰囲気が和らいだ。彼の言葉で、この客が自分達の味方であることが分かったからだ。彼女はフードを取り、男爵らに向かって板に付いた様子で腰を屈める。 「初めまして、皆様。シリー・エリシウスと申します」 見た目と同様に背筋の伸びた声だった。四十路を超していると見えたが若く、しっとりしたいい響きを持っている。 彼女を椅子に座らせながらジリオが口を開いた。 「先にも申し上げました通り、シリー夫人は宮廷での卿について実によくご存じなのです」 と、レンシアに微笑みかける。 「姫様は、宮廷で卿がどのように生活をなさり、どのようなことをお考えだったかあまりご存じありませんね。ですから今宵はそれについて、夫人にお話し頂こうと思うのです」 「おおそれはいい」 老男爵が代わりに言った。 「産まれてくる孫のためにもそういう機会が欲しかったのだ。のう、レンシア」 「はい」 と、娘も微笑みで応えたが、左端に座った騎士は立ち去ろうとした。 「色々と準備もございますので……」 そういう彼の前を、ジリオが思いがけない素速さで塞ぐ。 「まあそう言わずお座り下さい」 聞いたことのない程ぞんざいな口調だったので、騎士は驚いてジリオを見た。見返す芸人の双眸は今までになく力強い。 「一晩くらいいいじゃないですか。……キール」 キールの眉が歪んだ。怒ったのではない。妙な気持ちになったのだ。一瞬なんだかまるで……、死んだ男に名を呼ばれたみたいな気がしたのだ。 力が抜けた彼を、芸人の細い手が椅子へ押し戻した。それからジリオはみんなに微笑みかけると、自分も残った椅子の一つに腰を下ろした。 「ではシリー夫人、まずあなたが卿についてご存じのことを、私たちに教えて下さい」 シリー・エリシウスは大きな鳶色の瞳を持っていた。長い宮廷生活で鍛えられたその動揺しにくい表情が、微かにほころぶ。 「それでは……失礼します、皆様。……私は、元々イリリア王国に仕える侍女でございました……」 彼女は長い物語を始めた。その時、辺りは平穏で静かだった。ジリオはこの一瞬をいつまでも覚えておこうと思った。 * 私はイリリア王国に仕える侍女でございました。まだほんの子供の頃から王宮で働いており、他の世界をほとんど知りも致しません。 十代の半ば頃、王妃のサロンにやって来た若い韻術師の身の回りのお世話を仰せつかりました。それが、オッシア・アルアニスという名の痩せた物静かな人との出会いです。 幼い私がそんなに有能であったとも思えませんが、彼から叱られたりしたことはほとんどありません。彼はとぼけたところがあるかと思うと、妙に几帳面だったりして、よく分からない人というのが正直なところでした。 ご存じのように、彼はやがて反乱に転じ、王国は瓦解いたしました。私は路頭に迷ってもおかしくなかったのですが、卿とリキシル……、つまり後の夫でございますが、彼の好意でそのままトリエントーレ王宮に居続けることが出来たのです。 そのような力関係にあっても、卿は終始私にも、私の夫にも敬語を使い、本当に丁寧でした。ある時には、こんな事まで言っていたほどです。 『もしも、私が馬鹿な真似をしていると思ったら、遠慮しないで正直にそう言って下さいね』 無邪気だった私はそんな日が来るなんて思っていませんでしたから、ただ笑っていました。 その頃のトリエントーレは新生国家と言うこともあり、希望に燃えていました。創立メンバーも国王、卿、騎士隊長ファレ、リキシル、内務長官ジバル伯など、ほとんどが存命中で、関係も良好だったのです。 けれど将来卿を失脚に追い込み、やがて暗殺などという極端な事態になってしまったそもそもの原因は、意外と早期にもたらされていました。 卿の失脚した理由については軍閥の陰謀であるとか、宮廷の体質の変化のためであるとか色々に噂されております。 私は政のことは存じませんし、何か口出しできる立場でもございませんから、ただ彼等に一体何が起こっていたのか、私が見て参ったことだけをお話ししたいと思います――――」 |