<< novels <
故森幻想
The Dream Killing You
= 9 =
騎士達の篝火が揺れている。それらはこの夜が明けたら、ジリオを追う光となるだろう。 どうしてこんな事になってしまったのだろう。 ジリオは歩きながらやっぱり考えていた。 「―― ジリオ!」 呼ばれて顔を上げる。 篝火の向こうにキールが立っていた。大きな肩で息をつきながら、目をぎらぎらと光らせている。 おや用事が来た。とジリオも足を止めた。 「ジリオ、お前は何処にも行く必要はないぞ!」 騎士の弾む言葉に、彼は眉をひそめる。 「どういうつもりでそんなことを、キール。私はあなたの姫をあれ程までに手ひどく傷つけたんですよ」 赤い炎になぶられる騎士の横顔が変に輝いている。ジリオの肩に警戒が兆した。 「分からないのか! お前は反宮廷の新しい象徴になるんだ。残念ながら姫の『青杉』は流れてしまった。 だが俺はせっかくここまで来たのに騎士や兵士達を失望させたくない。……だから、お前が新しい旗印になるんだ。そして宮廷に、一矢報いるのだ!」 「………………」 蛾が飛び回るやかましい羽音がした。 弾みをつけるように、ジリオは首を上下さす。それからゆっくりと篝火に、彼に、近寄った。 「……意外ですよね、キール。忠実なはずのあなたが開口一番、レンシアのことじゃなく戦争のことを話すだなんて」 「…………」 言われて初めて騎士はそこに気がついたらしい。決まり悪げに視線を泳がす。 だが、 「あなたは、この戦を取りやめるつもりは無いのですか」 というジリオの問いに、彼はまた大きな声を出した。 「冗談じゃない! 今更……」 「どうあってもですか……」 がくん、と顎を下げて、ジリオは俯いた。赤い唇が持ち上がり、端が皺を刻んでゆがむ。 「それならば……、仕方がないなあ…………」 「?」 騎士が眉を上げたその瞬間、ジリオがふっと息を抜くように身を屈めたかと思うと ―――、目にも止まらぬ速さで地を蹴った。女のような芸人の左肩が、なめらかに虚を突かれた騎士の懐へ入る。 どん、と何かが胸板にぶつかる音がした。 「ぐッ!」 訓練された体が動く前に、彼は素早く飛び退く。繰り出された騎士の手刀が髪の毛一本の差で空を切った。 ため息一つこぼしたジリオの右手に短剣。血に染まった切っ先だ。 「お、お前……!」 信じられないといった表情でキールは左胸をまさぐった。温い血がどろ、と予想を肯定する。 なぜ―――― 「どういうつもりだ……!」 ジリオは後ろから鞘を回し、剣を腰にしまうとそれから、 「すみません」 謝った。 「……青杉の不在とあなたの昏倒が伝われば、この戦いは勢いを失い、立ち消えになりますよね」 そして顔を上げ、愕然とする騎士を真正面から、にらみつける。 「戦争をさせるわけにはいきません、……キール」 薪がはぜる合間に時折、水っぽい奇妙な音が聞こえた。キールの胸から血潮が地に滴り落ちる音だ。ジリオは急所ではないが、血の出る部位を刺していたのだ。 騎士にもそれはすぐと知れた。悔しさに犬歯が鳴る。 「……お前は……、父の無念を晴らしたくないのか!」 「無念ですか」 その言葉がジリオには不快だった。 「……あなたたちはくり返し彼が無念であったと言いますね。 では教えて下さい、彼は一体、どんな夢を絶たれたのですか?」 「道半ばで刺し殺された人間が無念でなかったわけがないだろう!」 「だがあなたは見たはずだ。あの男が……、暗殺された瞬間には結界すら張ろうとしなかったのを」 簡単に張れたはずだ。九十五韻の能力を持つ韻術師でもあった彼なのだから。少なくとも五度も刺される理由はない。 「そして刺された後、畜生とも言わないで枕をよこせと冗談を飛ばすような男だった。自身にも子孫にも無関心で、闘志などまるで失していた彼が、一体未来にどんな夢を見ていたというんです」 「生活だ! 卿は少なくとも穏やかな生活をッ――――……!」 声は途中で勢い、騎士はそのまま絶句した。 自分がいかなる撞着の最中に立っているのか、彼はやっと気がついたのである。 「……そう」 ジリオが厳かに後を継いだ。 「孤児となり、戦乱に生き、やがて殺される運命にあった彼が欲していたものがあったとすれば、それは平和な生活だった。 ……少し考えれば分かったはずです。もはやいない死者のための現実の戦争など、彼の最も望むところではないと。 それなのに、あなた方はレンシアの夢を担ぎ上げ、利用した……。あなたのしたこともまた、宮廷側と同じだったんですね」 ジリオは険しい表情で吐き捨てる。 「本当は実物のアルアニスになど用は無かったんだ……! 戦いの理由となるなら誰でも良かったんだ!!」 わがままに高じた声を、苦労して絞り込んだ。うっそりとなって先を続ける。 「……いい加減に着飾るのはおよしなさい。 あなたは、ただ戦争をしたいだけの狼です。そのために何もかもを利用している、貪欲な方だ。 ……でも私は、父の名を借りた戦いなど絶対に許せません。たとえどんな手を使っても」 だからジリオは彼等の『青杉』を殺し、キールを刺した。 こんな事態にならなければもっと別の方法もあったのかも知れない。けれど時間が無かった。戦いは一旦始まれば人の手を離れ、操作不能になってしまう。 やがて怒りに歪んだジリオの顔に、薄い皮肉の影が差し込んだ。 「それに、キール。いい加減に白状して下さいよ。あなた本当は彼のことが……、憎くてしかたなかったんでしょう?」 「!!」 「だってあなたさっき、本当にすごく嬉しそうでしたものね」 冷淡に笑うジリオは見ていた。シリーが彼の屍の上に厚く被せられた虚飾を一枚一枚剥ぎ取っていく度に、騎士の冴えない顔に押さえがたい喜色が、じわじわと水でも染みるように忍び込んでいったのを。 「卿が死ねばいいと思ってましたね?」 「や、やめ……」 「奇しくもあなたの望み通りになりましたね」 そうだ。狼狽する望み通りに、卿は彼の目の前で殺された。あっけなく聞き遂げられたその結果を前に、彼が恐怖を覚えるほどに。 「……つまり、あなたは『地の精』なんだ。産まれてくる『青杉』に殺されるべき裏切り者はあなただったのだ。 ……だからあなたには敵が必要だった。自分ではない明確な『地の精』が。 そういう、保身のからくりだったんですね。あなたは忠義面をしながら結局、卿の死も、姫の純情すらも、最後の一片まで自分のために利用したに過ぎないわけだ。小賢しいなぁ……」 ジリオの唇に冷たい蔑みが走る。 「あなたは一体、それでも騎士ですか…………?」 えものを振り回しても最後は鋭い言葉でぐさり。 それが詩人のやり方である。 とどめを刺された騎士に、ジリオは背を向けた。その瞬間、キールは膝から地に落ちる。 どくどくというのは血なのか心音なのか。青草の芝に倒れ伏しながら、憐れなキールは泣いていた。 ――― そうだ……! 死んで当然だったんだ、あんな男! 彼は卿が出発する前の夜、離れに向かうレンシアの姿を見たのだ。暴走した想像に吐き気を覚え、あんな男死ねばいいと心の底から強く憎んだ。 彼が刺された瞬間、喜悦の冷たい手が心臓を鷲掴みにして、体が動かなかった。ほんの一時であったとしても、自分は彼の死を、その悲劇を喜んだのだ――― やった、と。 彼はレンシアとは違った。自分の中にどれほど汚いものがとぐろを巻いているのか知っている。必死になってそれを隠し通しながら生きてきたのだ。 それでも欺けぬ森の裁きは震え上がるほど恐ろしかった。 彼は結局迷いを棄てられなかったのだ。ごまかしにごまかしを重ねながら、いつもびくびくしていた。 たまらなかった。突き抜けたかった。そうしたら目の前にいるじゃないか、宮廷という大きな敵が。 ……そうだ、着物を剥げば、俺は『地の精』なのだ。あの灰色の目した『風の精』が、実はつまらない人間だったのと同じように、救いようのない男なのだ。そしてほら、やはり『青杉』によって刺され、こうして倒れている…………。 あまりの符合に、遠くで森がげたげたと嗤っていた。だが彼は、もう疲れて、逆らう気力もない。 ……もう、地の精ならば、地の精でいいじゃないか。俺は何より他人でいることにくたびれ果てた。人々が何も知らないで俺を優秀な騎士だ、忠義者だと言うたびに、心の中で何かが殺されていくようだった……。 ……ああ。 そうか、ああ……。 騎士はつぎはぎだらけの自分の修辞が、見ない振りをしていた撞着へまた一つ行き当たったのを感じ、おかしくなった。 これが俺達がしていたことか。 もしかすると俺達の夢は、宮廷側が用意したどんな罠よりも姑息に、どんな陰謀よりも狡猾に、あの男を殺し続けていたのかも知れない………… 冷めた血で掌が寒い。彼は朝に間に合わず、ここで『青杉』と一緒に死ぬのかもしれない。 ……でも、それも悪くないな。 目を閉じながら彼は思う。 このまま、ああ眠るようにこのままいっそ、 死ねたらいいのに……。 青草を、その下の表土を指で削り取りながら、キールは気を失った。 |