- 藪柑子漫談 -

(六)手の早い男




 俺と徳永はあまり相性がよくなかった。見た目にも分かりやすい相性の悪さだった。
 俺はがさつで腕白者でしゃしゃり出る類だ。彼は色白で人見知りで傷つきやすく、明らかに俺を怖がっていた。
 それでも無論同じ家に出入りし同じ畑にいたのだから話をすることはよくあった。が、いつまで経っても我々の話はかみ合わないのだ。
 最初は徳永が俺に萎縮して本音で話が出来ないからなのかと思っていた。だがしまいに、彼とは相性が悪いのではなく、属性が違うのだということに気がついた。それ以来はあまり苛々することもなくなったが、やっぱり馬が合うとまではいかなかった。
 徳永も小説を書いた。彼はそれを藪柑子先生に見せた。稀に木之井や俺にも見せた。殊に自信があると、俺のところへ持って来た。
 面白いものだ。俺のことが実に、言い様もなく苦手だったろうに、同時に彼は俺の賞賛を欲してもいた。
 今ではその影もないが当時、俺は学生文士として極内輪にささやかな名声を得ていた。きっとそれが気になったのだろう。
 さて、彼自身の行動は面白いが作品の方はあまり面白くなかった。さすがに本を読んでいるだけあって文体は悪くなかったが、物語にしても描写にしても文章にしても、彼独自の創作であると判断できる箇所が大変に少なかった。時々はそれが無くて、全てが外来文学の模倣であることすらあった。
 ある日も俺はそういう小品をとある西洋料理屋で見せられていた。団子坂にあって、当時にしては真っ当な珈琲を出していた店だ。
 小品だったのでものが出て来るまでに読み終わってしまった(速読な方なのである)。汗を拭きつつ、まあ折角なので素直な感想を伝えておいた。
 すると徳永は顔を赤くして俯き、やがて出てきた珈琲の中に五杯も砂糖を落としてぐるぐるとかき混ぜた。ミルクもたっぷり流していた。俺はその頃珈琲なんぞ泥水だと思っていたのでうっとなりつつ、それを見ていた。
 徳永は珍しく熱っぽく話し始めた。自分が書きたい作品についてだった。情熱的な、男女の激しい衝突の話。生と死とが隣り合わせで、読者は彼らと一緒にその境を否応なく往復する。
 僕は今の日本の小説は些か大人しすぎると思うんだよ――――。家庭内のいざこざや男女の仲を描いた作品は数あるが、どれも一様にナンジャクで斬り合いをする武士のような凄みが足りないと思うんだ。
 それは多分、そのようないざこざは行儀が悪いことだとか、体裁が悪いことだとみなす風潮が社会にあるからだと思う。そんな認識を吹き飛ばすような、力のある作品を書かなくては駄目だ。人間が真に人間らしくなれるような作品…。
 つまり新しい文学だ。女も学問を始めた。珈琲も飲めるようになった。日本はこれからどんどん新しくなっていくんだから、文学も目覚めなければならないんだ。
 ―――――俺は未だに、本当の親切心というのはどちらのことなのか判断が着きかねている。木之井なんぞに尋ねれば笑いながら寝た子は寝かしておけと言うだろう。藪柑子先生は常に正直であれと仰っていた。
 それで俺は言ったのである。
「で、いつ出来るんな、それは?」
 白くて太い指で長くて細いスプーンを持ち、徳永はまたぐるぐると珈琲茶碗をかき回した。




 店の前で別れた背中を見送った。これですくなくとも二月は新しい作品を見せに来ないだろうなと思った。その分は木之井辺りに皺が寄るだろう。
 それは気遣って優しい言葉をかけてやってもいいのだが、それでいい小説が出来ると言うわけでもないから。
 蝉がわんわんと鳴いていた。頭の後ろを掻きつつ、坂を登ろうと身を返すと、後ろの方で、女の声が聞こえた。
「栄さん! やっと見つけたわ、どこを逃げ回っていたのさ!」
 やかましい声だった。人目もある。徳永は狼狽しつつ女をなだめ、駆け足で坂を下って行った。
「何よ! もう騙されないから! いつもいつも適当なことばっか言っ…人を馬鹿にし…! …今日という今日…」
 俺は俺なりの親切心を発揮して、声が随分遠のいてから振り向いた。見たことのない女だなあと思った。
またか…。
「手の早い奴じゃのー」
呟いて歩き出す。
 下宿に戻ると俺は窓を開き、机に向かった。夏の夕方は長いので読書には最適なのだ。
 ランプが必要になる時刻までに読みきってしまおうと俺は、傍らの本の山から読みかけの一冊を取り出した。




 後になって学校でこの話をすると、木之井はにこにこしながらこう言った。
「紅梅君はもっと親切にならないといけないね」
俺が文句を言おうとすると付け加えた。
「いや、僕に親切にしてくれなきゃいけないよ」
 なるほど、と俺は思った。



高田梅太郎(紅梅)





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