- 藪柑子漫談 -

(八)誕生日




「眉山が頚動脈を切ったそうだな」
 文を読みながら伯父は言った。ほこりの浮いた水差しを片付けていたところだったので、勝手から戻ってから尋ねた。
「なんですって?」
「川上眉山が死んだそうじゃないか」
「そんなことが書いてあるんですか」
「いや。別に」
 要は読む気がないのだろう。さして長いものでもないが、冷めた目で末尾までを眺めて、古い畳の上に投げ出した。
 確かに父が読むに足る手紙を寄越したとは思えないが。
「小女(こおんな)はどうしたんです」
「辞めちまったよ」
 言葉が終わらぬうちにもう体を崩して横になった。一応湯には行っているようだが、着物は節々が汚く、髪の毛は伸びがちで、みっともない。はだけた袷から浮き出す肋骨が見えた。
「どうして辞めたんです」
伯父は瞼を閉じたままだ。
「俺が出てけと言ったからさ」
「………」
 評判が悪くて近くじゃ見つからないから、わざわざ遠くで探してきた下女である。癇に障るものがあったが、押し込めて辺りを片付け、くの字型になっている伯父の前へ座した。
「医者には行ってますか」
「馬鹿らしい…」
「じゃあ治療費はどうしてるんです」
「トックリだよ」
「家に言いますよ」
「そしたら直接取りに行くまでさ」
 伯父は終始抑揚の無い声で会話を終えると、目を開いた。眉根を寄せた僕の顔を見、うと思う間に僕の膝の上の手に、自分のそれを伸ばしていた。
「お前は生きてて楽しいか」
 腕を持ち上げると、逆らわない手が畳に落ちる。音を聞きながら、立った。
「誰か寄越します。もう気ままに辞めさせないで下さい」
 伯父は目を閉じたきりで答えなかった。取り散らかり日当たりの悪い六畳間に、邪魔物のようにその体が転がっていた。
「じゃあ」と言って出ようとすると、
「正吾」
と呼び止められた。振り向くと伯父の脛(すね)が言う。
「誕生日おめでとう」





 その日はどこへ行っても「おめでとう」とやられた。学校でも、道で行き会った女学校の生徒にも、洋食屋の女給にも、「昭光」の編集室でも、拒む間もなく次々と言われた。
 家族以外で言わなかったのは、紅梅君くらいのもので、彼は僕が女学生からハンケチを受け取るのを傍で心配そうに眺めていた。
「お前、人からモノもろうた時はもうちょっと嬉しそうな顔せんと」
言われても僕は甚だ不機嫌であった。
 普段、彼女たちに飛びとめられて会話しても面白いと思った試しがない。きっかけにもならないきっかけを利して贈り物を押し付ける好意があるなら、その間に少しは自分を耕してもらいたい。





 夕刻、紅梅君と藪柑子家へ出向くと、小菊坂の手前で鞄を抱えた破れ靴氏に会った。
 会ったは会ったが、彼は僕の顔を見るなりぴょんと飛び上がって回れ右すると、煙を立てて逃げて行った。
「勘がええのお…」
礼儀云々はともかく、と紅梅君はほとほと感心の態である。
 藪柑子先生らは、僕の誕生日を知らない。だから川上眉山の話をしていた。
 ところが徳永君はやってくるなり僕に「おめでとう」を言って、その上自作の和歌を短冊に書いたのを五本も呉れた。




木之井正吾




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